私とロックとの出会い
デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek and the Dominos)
イギリスのブルースロックバンド、ブラインド・フェイスの一員として
アメリカ・ツアー回っていたエリック・クラプトンが
オープニング・アクトとして起用した夫婦デュオ・デラニー&ボニーを気に入り
後に彼らのバックバンドのギタリストだったジェリー・マギーがザ・ベンチャーズに加入するため脱退した時
クラプトンが後任のサポートギタリストとして参加することになりました。
更にエリック、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、
ジム・ゴードン、デイヴ・メイソン、ボビー・キーズを加え
デラニー&ボニー&フレンズとしてイギリスをツアーで回った事が
バンド結成のきっかけで、
その後、クラプトンはバンドからボビー・ウィットロックとカール・レイドル、ジム・ゴードンを
引き抜き結成したのがデレク・アンド・ザ・ドミノスです。
そうして彼らが発表した唯一のスタジオアルバムが
あの有名な『いとしのレイラ(Layla)』です。
特にタイトル曲「レイラ」はクラプトンの代名詞といってもよい程で
ソロになってからのコンサートでも演奏されると一番盛り上がります。
日本でも度々CMにも使われたので一般的にも良く知られていますね。
今ではレイラ=クラプトンの曲というイメージになってしまい
デレク・アンド・ザ・ドミノスという名前を知らない人も少なくありません。
このレイラには実在するモデルが居ます。
それはクラプトンの親友ジョージ・ハリスンの奥さんだった
パティ・ボイドです。
あろうことかクラプトンは親友の奥さんパティを愛してしまいます。
それだけなら単なるクラプトンの片思いでしょうが
当時ジョージ・ハリスンはインド精神に傾倒したり
リンゴ・スターの奥さんとの浮気等を繰り返していて
バティの気持ちが離れつつありました。
孤独感を味わっていたバティは
ある時クラプトンから「レイラ」を聴かされます。
バティは、すぐにこの曲はクラプトンが
愛していながらも一緒になれない女性に対する気持ちを歌っていて、
その女性はバティ自身だという事に気付きます。
更に、その夜のパーティーでハリソンに会ったクラプトンは
パティを愛している事をハリソンに告げます。
そうして徐々にクラプトンに気持ちが傾いていったパティは
曲が誕生した数年後、ハリソンと別れクラプトンと結婚しました。
ただクラプトンは、そこまでの課程で親友の奥さんを愛してしまった事の自責の念から、
ドラッグ(ヘロイン)に溺れ再起不能寸前まで行きましたが
The Who(ザ・フー)のPete Townshend(ピート・タウンゼンド)らの手助けもあって、
ライヴに出たことを手始めに
しだいに肉体的にも精神的にも健康を取り戻し、
4年ぶりに再起のアルバム[461オーシャン・ブルーバード(461 Ocean Boulevard)] を発表することが出来ました。
レイラは、前後半で違った曲想を持っています。
出だしはロック史上あまりにも有名なイントロから始まり、
歌に入ると転調しますがサビの部分は再びイントロと同じコード進行になります。
またこの曲にはオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンがゲスト参加していて
フェンダーストラトキャスターを弾くクラプトンと
ギブソンレスポールを弾くオールマンのギターバトルが聴きものです。
特にオールマンが弾くスライドギターは
フレットのない部分の音まで使用し縦横無尽に活躍します。
最初聴いた時、ギターの音とは思えませんでした。
二人のギタリストが活躍する前半部分はクラプトンの作曲です。
一転してピアノが中心の後半は歌なしのインストゥルメンタルです。
この部分はジム・ゴードンが作りました。
これ程の名曲が発売当初はチャートにも上らず評判も悪かったのが
不思議ですが、当時はラジオでオンエアーするのが普通だったので
確かに前後半合わせると少し長い様な気がします。
前半のギター中心部分だけでシングルカットし
もっとクラプトンの名前を前面に出せば
間違いなくヒットしたと思います!
余談ですがレイラは、既に引退した阪神タイガースの濱中選手が
バッターボックスに入る際の
テーマ曲としてよく使われたので
阪神タイガースファンには、お馴染みです(笑)
結局、デレク・アンド・ザ・ドミノスは、この一枚を残しただけで
メンバー間の不和が表面化し解散してしまいます。
その後、メンバーはそれぞれソロとして活動しますが
各自がドラッグに溺れた生活を送るようになりました。
幸いクラプトンは友人の助けもあって薬物から抜け出し復帰しますが
薬物が原因でバティとは分かれてしまいました。
他のメンバーもドラッグ中毒で早死にしたり
レイラの後半部分を作ったジム・ゴードンもドラッグ中毒の後
精神を患った上、母親を殺害する事件を起こし
懲役16年の判決を受け精神病院に収監されましたが
刑期を終えた現在も入院しているそうです。
デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek and the Dominos)
イギリスのブルースロックバンド、ブラインド・フェイスの一員として
アメリカ・ツアー回っていたエリック・クラプトンが
オープニング・アクトとして起用した夫婦デュオ・デラニー&ボニーを気に入り
後に彼らのバックバンドのギタリストだったジェリー・マギーがザ・ベンチャーズに加入するため脱退した時
クラプトンが後任のサポートギタリストとして参加することになりました。
更にエリック、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、
ジム・ゴードン、デイヴ・メイソン、ボビー・キーズを加え
デラニー&ボニー&フレンズとしてイギリスをツアーで回った事が
バンド結成のきっかけで、
その後、クラプトンはバンドからボビー・ウィットロックとカール・レイドル、ジム・ゴードンを
引き抜き結成したのがデレク・アンド・ザ・ドミノスです。
そうして彼らが発表した唯一のスタジオアルバムが
あの有名な『いとしのレイラ(Layla)』です。
特にタイトル曲「レイラ」はクラプトンの代名詞といってもよい程で
ソロになってからのコンサートでも演奏されると一番盛り上がります。
日本でも度々CMにも使われたので一般的にも良く知られていますね。
今ではレイラ=クラプトンの曲というイメージになってしまい
デレク・アンド・ザ・ドミノスという名前を知らない人も少なくありません。
このレイラには実在するモデルが居ます。
それはクラプトンの親友ジョージ・ハリスンの奥さんだった
パティ・ボイドです。
あろうことかクラプトンは親友の奥さんパティを愛してしまいます。
それだけなら単なるクラプトンの片思いでしょうが
当時ジョージ・ハリスンはインド精神に傾倒したり
リンゴ・スターの奥さんとの浮気等を繰り返していて
バティの気持ちが離れつつありました。
孤独感を味わっていたバティは
ある時クラプトンから「レイラ」を聴かされます。
バティは、すぐにこの曲はクラプトンが
愛していながらも一緒になれない女性に対する気持ちを歌っていて、
その女性はバティ自身だという事に気付きます。
更に、その夜のパーティーでハリソンに会ったクラプトンは
パティを愛している事をハリソンに告げます。
そうして徐々にクラプトンに気持ちが傾いていったパティは
曲が誕生した数年後、ハリソンと別れクラプトンと結婚しました。
ただクラプトンは、そこまでの課程で親友の奥さんを愛してしまった事の自責の念から、
ドラッグ(ヘロイン)に溺れ再起不能寸前まで行きましたが
The Who(ザ・フー)のPete Townshend(ピート・タウンゼンド)らの手助けもあって、
ライヴに出たことを手始めに
しだいに肉体的にも精神的にも健康を取り戻し、
4年ぶりに再起のアルバム[461オーシャン・ブルーバード(461 Ocean Boulevard)] を発表することが出来ました。
レイラは、前後半で違った曲想を持っています。
出だしはロック史上あまりにも有名なイントロから始まり、
歌に入ると転調しますがサビの部分は再びイントロと同じコード進行になります。
またこの曲にはオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンがゲスト参加していて
フェンダーストラトキャスターを弾くクラプトンと
ギブソンレスポールを弾くオールマンのギターバトルが聴きものです。
特にオールマンが弾くスライドギターは
フレットのない部分の音まで使用し縦横無尽に活躍します。
最初聴いた時、ギターの音とは思えませんでした。
二人のギタリストが活躍する前半部分はクラプトンの作曲です。
一転してピアノが中心の後半は歌なしのインストゥルメンタルです。
この部分はジム・ゴードンが作りました。
これ程の名曲が発売当初はチャートにも上らず評判も悪かったのが
不思議ですが、当時はラジオでオンエアーするのが普通だったので
確かに前後半合わせると少し長い様な気がします。
前半のギター中心部分だけでシングルカットし
もっとクラプトンの名前を前面に出せば
間違いなくヒットしたと思います!
余談ですがレイラは、既に引退した阪神タイガースの濱中選手が
バッターボックスに入る際の
テーマ曲としてよく使われたので
阪神タイガースファンには、お馴染みです(笑)
結局、デレク・アンド・ザ・ドミノスは、この一枚を残しただけで
メンバー間の不和が表面化し解散してしまいます。
その後、メンバーはそれぞれソロとして活動しますが
各自がドラッグに溺れた生活を送るようになりました。
幸いクラプトンは友人の助けもあって薬物から抜け出し復帰しますが
薬物が原因でバティとは分かれてしまいました。
他のメンバーもドラッグ中毒で早死にしたり
レイラの後半部分を作ったジム・ゴードンもドラッグ中毒の後
精神を患った上、母親を殺害する事件を起こし
懲役16年の判決を受け精神病院に収監されましたが
刑期を終えた現在も入院しているそうです。