祇園宮参拝したあとしばらく歩くと気になる坂をみつけました。( ´~`)

人や獣が通る道とは異なり車が登れる道です。

何のための道だろうと上がってみると古墓が並んでいました((゚□゚;))

その中で自然石を使った大きな墓石が気になりました。σ(´・ε・`*)

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お墓の前には古い石燈籠がありました.゚+.(・∀・)゚+.゚

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なんと!寛永十八年(1641年)に建立されていました(゜ロ゜;ノ)ノ

この石燈籠が建立される四年前に島原の乱がありました。( ̄~ ̄;)ウーム
その時代のものが目の前にある!(*゜д゜*)ホエー

すると山の上からひとりの紳士が降りて来られました。ヽ( ゚д゚ )ノ

ここに来た理由を話して、紳士にお話を伺うとこちらのお墓の御子孫だそうです。(^.^)(-.-)(__)ペコリ

こちらのお墓は旧熊毛町の三丘城主、倉田治部大夫さんの長男さんのお墓だそうです。Σ ゚Д゚≡( /)/エェッ!
墓石の裏には亡くなられた年と

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こちらのお墓の主がどういう方だったのかが書かれていました。

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「大内家戚族三尾(三丘)城主 倉田治部久輔(大夫)○信長男」
倉田治部大夫さんは毛利元就とこの三丘城で戦い破れた方です。(o゚Д゚ノ)ノ

紳士の話だと、ここからさらに下流の方に塚があり、そこがお墓だそうです。(‐人‐)ナムナム

こちらのお墓の主は凄い人のお墓なんですね(‐人‐)ナムナム

更に紳士にお話を伺うとなんと!紳士で十八代目だそうです。(^^;)(;^^)

なんと!ラッキーな事でしょう。o(*゚∀゚*)oワクワク
素晴らしいご縁に恵まれ、素敵なお話を聞く事が出来ました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

紳士に別れを告げ近くの慈眼禅寺観音堂に立ち寄ってみました。o(*゚∀゚*)oワクワク

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昔はきっとお寺さんだったのでしょうね。( ´~`)

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説明板がありました.゚+.(・∀・)゚+.゚

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創建は大同元年(806年)ですか!(*゜д゜*)ホエー
平安時代初期ですね~*。・+(人*´∀`)+・。*
(満州国の大同元年(1932年)ではありませんよ(ヾノ・∀・`)
ちなみに満州国の年号は大同・康徳の二つの年号がありました。)

御本尊も見たかったですが、やはり本命は鰐口ですよね~(゚∀゚*)(*゚∀゚)

いつか見れる日を信じて狛犬友達のなかさん手作りのお弁当をこちらでいただきました。( ≧∀≦)ノ

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なかさんは料理上手なんですよ~(゚∀゚*)

こちらもご相伴にあやかりました。(((*≧艸≦)ププッ

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ここから更に歩いて高水までトータル20キロ歩いて帰宅しました。ヽ(*>∇<)ノ

またどこか歩いてまわりたいなぁ~*。・+(人*´∀`)+・。*