こんばんはヽ(=´▽`=)ノ✨

以前書いて途中までで忘れていた下領八幡宮の続きを書いて行こうと思います(⁠^⁠~⁠^⁠;⁠)⁠ゞ


御祭神はこちら(≧∇≦)ノ

由緒沿革

大和の時代に孝霊天皇の頃に、天照大神・蝦子大神を祀り宇周宮とも麿能峰宮とも称しました(*´∀`*)
その後様々な神々を合祀してきましたので明神様として崇められて来ましたヽ(=´▽`=)ノ✨
鎌倉時代になると山城国(現京都府)の男山八幡宮分霊を合祀しますヽ(=´▽`=)ノ

その後大内氏・毛利氏の崇敬厚く祭典等が行われていました(≧∇≦)b

尚、江戸時代に書かれた「地下上申」には下領八幡宮とありましたヽ(=´▽`=)ノ

こちらの社叢(お宮の森)は天然記念物にしてされています(*˘︶˘*).。.:*♡

おっと!

境内を散策しないとε≡≡(≧∇≦)丿

お!こちらの手水鉢も石灰石ですよ~(*´艸`*)
何時頃奉納されたのかなあ((o(´∀`)o))ワクワク

お!こんなところに鹿が彫られていますよ~(人´∀`).☆.。.:*・゚
(すぐに他の事に気を取られる私💦)


こちらは石燈籠に彫られていました(//∇//)

昭和九年に奉納されていましたよ(人´∀`).☆.。.:*・゚💞



狛犬様も違う面に彫られていました(〃∇〃)💞

しかし…………………………
火袋が塞がれていて、どういう風に灯りを灯していたのかなぁ(´-`).。oO

おや?
あちらには…………………………


いや💦
落ち着いて散策していきましたょう(*´艸`*)💞