おはようございますm(_ _)mペコリ
本日は植松八幡宮を参拝した時の事を書いていきますねヽ(゚∀゚)ノ パッ☆
拝殿前には2対の狛犬様と石燈籠が綺麗に並んていました((o(´∀`)o))ワクワク
そちらは後にしてまずは参拝です(人´∀`).☆.。.:*・゚
立派な扁額です(≧∇≦)b
早速参拝を(ー人ー)パンパン
厳かな雰囲気ですねぇ~(ー_ー)🙏
おや?
由緒書がこちらにもふたつありましたよ((o(´∀`)o))ワクワク
明治時代と昭和時代のふたつです(≧∇≦)b
幼少期(幼稚園時代)にこういうのを読め!って親父様に言われて読めずよく殴られたなぁ〜(´-`).。oO
わかりやすく私の資料から(≧∇≦)ノ
植松八幡宮(うえのまつまちまんぐう)
御祭神
仲哀天皇
応神天皇
神功皇后
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
由緒沿革
鎌倉時代の寛喜三年(1231年)に豊後国(現 大分県)の宇佐八幡宮より植松下河内に分霊を勧請しました。
佐波川が度々決壊しハミ(蝮)が大量発生し村人は困っていました( ´Д`)=3
室町時代の大永元年(1521年)に村人の枕元に八幡大神が現れてこう言われたそうです((o(´∀`)o))ワクワク
「我社を佐波川の岸に移せば蝮(マムシ)の難を除かれ村内は安全になるであろう」
村人達は集り、領主へこの旨を訴えました(ー人ー)
その事を受けた大内義興公(おおうちよしおき(文明九年〜享禄元年))は同二年(1522年)春に現在地へ遷宮し社殿を建立しました(≧∇≦)b
この神霊のお告げのおかげでハミ(蝮)の害も無くなり村人はおおいに悦んだそうですヽ(=´▽`=)ノ
明治に入ると村社となり、明治四十年に塩屋原の厳島神社が合祀され、泥江の泥江神社も境内摂社として移鎮されました(ー人ー)
こちらが社殿の全体です(人´∀`).☆.。.:*・゚
本日はちょっと書きすぎて時間が無くなりましたので続きはまた明日にヽ(=´▽`=)ノ