おはようございます(*- -)(*_ _)ペコリ

本日は拝殿内にあった絵図を見ながら狛犬様の事を書いていきますね~.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

絵図には二対の狛犬様がおられますね(*゚∀゚)=3

まずは一対目の狛犬様です(*^ー^)ノ♪


阿形

珠を咥えてにっこり笑顔(///∇///)

頬があがってにっこりされていますねぇ~(((o(*゚∀゚*)o)))

尻尾も見事ですね゚+(人・∀・*)+。♪

こちらも立派(・о・)

吽形

角があるのが吽形の特徴のひとつですね(≧∇≦)b

前歯が出っ歯でどこか愛くるしい表情です(///ω///)♪

あら💦
こちらの尻尾は少し壊れています(´・ω・`)ショボーン

奉納時期は天保九年(1838年)です(゜∇^d)!!

さて、絵図にあったもう一対の狛犬様が見あたりませんキョロo(・ω・= ・ω・)oキョロ


何度も見て廻ったのですが(´ε`;)ウーン…

も、もしかしてこちらでしょうか!ヘ(゜ο°;)ノ

台座っぽい物(年号不明)に乗っておられますし、形もそれっぽいです( ; ゚Д゚)

構えの型でしょうか(´ε`;)ウーン…
こちらが頭で🤔


こちらが尻尾かなぁ(-""-;)


おっと!由緒を書いていませんでしたね(〃⌒ー⌒〃)ゞ

由緒書は

あ!
ありましたよ(≧∇≦)b

一応天照皇大神以外の神様も書いておきますね

素盞嗚命(すさのおのみこと)
三穂津姫命(みほつひめのみこと)
級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長津姫命(しなつひめのみこと)
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
武甕槌命(たけみかずちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
保食命(うけもちのみこと)
水分神(みくまりのかみ)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
応神天皇
仲哀天皇
神功皇后


合祀された四社について少し追記を(≧∇≦)ノ

金切神社
 創建時期はわかりませんが、仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられています。その後三韓征伐に際しても神功皇后自ら斎主となって神祇を祀って出征されたそうです。三韓はこの地より戌亥の方角(北北東)になり、陰陽五行説では金位の方角に当たり、そこを切り平らげたという意味から金切神社と呼ばれるようになったそうです(≧∇≦)b
一ノ鳥居の傍の「金切宮の碑」は江戸時代の弘化四年(1847年)に建立されたもので、由緒が彫られています(*´∀`*)



浜ノ神社(勝間神社)
 周防の国の中心であった国府には、都からの物資や役人の往来が盛んで国府の南にあった「勝間の浦」は海路の要衝でした。そのため勝間神社は国府の守護神として信仰されていました。
清少納言の父清原元輔さんは天延二年(974年)に周防国司となり
「思ひいでよ 千年のはるの けふごとに 勝間の浦の 岸のひめ松」
と詠んだと伝えられています。
江戸時代になると勝間開作が築造され、安永五年(1788年)に藩主・毛利秀就公は浜ノ宮と称して「防府惣鎮守」として造営にかかる費用を藩から支給しました(≧∇≦)b

国庁八幡宮は説明書そのままですねぇ

日吉神社(山王社)
 周防国分寺の守護社として、国司重源上人が滋賀県大津市の日吉神社からから勧請したと云われています。
明治三十一年に毛利庭新築のため多々良の北東に遷宮しましたが、僅か九年後に政府により佐波神社に合祀されました。

ちょっと長く書き過ぎましたねぇ~m(_ _)m💦


明日は小ネタをちょっと書いてみますねヽ(=´▽`=)ノ