おはようございます(*- -)(*_ _)ペコリ

本日は旅のメインである狛犬様とこちらの三島神社の由緒ついて書いていきますね~*。・+(人*´∀`)+・。*


阿形

下高尻の狛犬様とほぼ同じですo(*゚∀゚*)oワクワク



台座に大きな牡丹の花が彫られているところをみると萩狛犬(こちらだと須佐狛)の影響を受けているように思えます(*´ー`*)



睨みを効かせているのも全く同じです(゜∇^d)!!



なんと!
奉納時期まで全く同じです(*゜д゜*)ヘェー
石工さんの銘がありませんでしたがおそらく同じ方が造られたのではないかと思います( ´~`)

そこで草刈りをしておられた紳士の方に質問すると、こちらの三島神社が先で下高尻の方がこちらの分霊を祀ったものだそうです゚+(人・∀・*)+。♪
(資料には無かった情報です)

そしてこちらの三島神社は河野水軍と縁があると聞きました。(*゚∀゚)=3
そこで実は私の住む光市にも縁があるとお話すると盛り上がりお茶とお菓子まで頂きましたよ(*´∀人)
 


それでは由緒沿革を(*^ー^)ノ

三島神社(上高尻)

祭神
 大山祗命(おおやまつみのみこと)

由緒
 正和四年(1315年)に伊予国(現在の愛媛県)の河野弥十郎入道越智道弘さん(河野水軍)が石州(現在の島根県)津和野城主吉見公を頼り高尻に来て開拓を始め高尻の祖と崇められています(‐人‐)
その弥十郎さんが暦応元年(1338年)に伊予国より三島神社を勧請したのがこちらの三島神社になります*。・+(人*´∀`)+・。*
尚、こちらの三島神社の使者は鰻と言われています(≧∇≦)b
(明日の土用丑の日はどうなるのでしょうね)
元禄十一年(1698年)に御本殿を建立し、正徳元年(1711年)に弥十郎さんの後裔森山善九郎頼光公の時に社殿と鳥居を再建します(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
(その後寛延三年(1750年)、弘化二年(1845年)に再建されています)

さて、河野弥十郎入道越智道弘さんはどんな方で何故こちらに来られたのでしょうか?σ(´・ε・`*)
河野弥十郎さんは元寇(弘安の役)で三島水軍を率いて活躍した河野六郎通有さんの一族ではないかと言われています(゜∇^d)!!
河野弥十郎さんがいた伊予高直城が落城した正和四年に武門の無情を感じ二人の従者と共に中国山地奥地の高尻に来たそうです。(((o(*゚∀゚*)o)))

あ………………

ちょっと書き過ぎましたね(´▽`;)ゞ

社号標の裏にも書いてありましたよ〜( *´艸`)

見返り参拝を済ませ(‐人‐)パンパン

さぁ!次の目的地に出発ですε=ε=(ノ≧∇≦)ノ