おはようございます。(*- -)(*_ _)ペコリ
今朝は昨日の続きです。(*^ー^)ノ
多賀神社の次に目指したのは大潮神社です。(人´ з`*)♪
が!
駐車場に上がる道は雪が積もり登るのは不可能😱
まぁ、日陰ですから仕方ないですね~( ;´・ω・`)
(こちらに来る前に一社積雪の為断念していました)
まぁ、この状態では仕方ないですよね(。・´_`・。)ハァ
おや?
雪から湯気があがっていますね~゚+(人・∀・*)+。♪
とても神秘的な景色です。(///∇///)
それだけ急激に温度が上がって来たのでしよう(*⌒∇⌒*)
そんな中こちらの看板をみつけました。o(*゚∀゚*)oワクワク
参拝出来るのかなぁ?σ(´・ε・`*)
雪の深さは?
っと轟天号を降りて雪を踏むと……………
結構深い( ̄□ ̄;)!!
でも………
湯気があがっているということは雪が溶けているかもしれません!( ´~`)
とりあえず、そばまで行ってみましょうε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
お!
鳥居周辺を見ると雪が溶けています。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
早速参拝してみましょう(*゚∀゚人゚∀゚*)♪
こちらの鳥居には
天満宮・潮明神・柿本宮と三社の鳥居であることがわかります。o(*゚∀゚*)oワクワク
建立時期は安永七年(1778年)です(゜∇^d)!!
鳥居の脇には石燈籠が
こちらは明和九年(1772年)に奉納されていました。*。・+(人*´∀`)+・。*
明和九年は江戸の三大大火ののひとつ明和の大火や災害が相次いで起こったため、
これは明和九年は、迷惑(明和九)な年だ!
といわれ改元された年ですね~(*´ー`*)
こちらの記念碑は
大正十四年に建立されていました(゜∇^d)!!
潮明神社の後ろも白く湯気が上がりなんともいえない神秘的な雰囲気ですね~(///∇///)
ん( -_・)?
拝殿前にあるこちらは?σ(´・ε・`*)
とにかく参拝をしましょう。(* ´ ▽ ` *)
(‐人‐)パンパン
御本殿も立派ですね~*。・+(人*´∀`)+・。*
隣には大師堂がありました。o(*゚∀゚*)oワクワク
(‐人‐)ナムナム
由緒沿革はキョロo(・ω・= ・ω・)oキョロ
見当たらないので私の資料から
祭神
市杵姫命(いちきひめのみこと)
由緒
天長五年(828年)に安芸国(現在の広島県)から厳島神社より勧請されたそうです。
いい伝えによると
天長五年一月七日に淳和天皇は弘法大師を呼ばれて相州(現在の神奈川県)に江ノ島弁財天社にて万座の護摩を修めました。
この時「天下泰平・国家安寧」を丹誠込めて祈願されました。(‐人‐)ナムナム
そのかいあってか、天下はよく治まり民の竈からは豊かな煙が立ち上ぼり国民は大いに喜んだそうです。
七月七日に終えた弘法大師は、その灰で弁財天十五童子の象を三体造りその三体を神のおぼしめしに従う地に祀る旅に出ます。
一体は相模国(現在の神奈川県)の江の島弁財天に祀り
一体は大和国(現在の奈良県)吉野の吉水寺に祀り
最後の一体を祀るところを尋ねて行脚を続けました。
遠く人里離れ谷の水は清いが寂しげに流れ、鳥の声も美しいこの地に祀る事を決めました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
弘法大師が弁財天十五童子を祀ったところ、忽然として谷水は潮水となり数十町歩(数キロ平方)が青い海になりました。😱
カモメが水面に遊びどこからか琵琶の音が響き、天女が舞い降りて来ました。
天女は「私がこの地にて万民の安全を護り福徳円満を守護して、火災を防ぎ万病を治しましょう」
と告げ、弘法大師はこの地こそ神託の叶う地であると考え潮明神と社号を定めて祭事を行われこの地を後にしました。
それ以来信仰する多くの人々が集まり山林を切り開き大潮村と呼ぶようになり農耕を営むようになりました。
現在も社宝として弁財天十五童子と弘法大師の手形が残されています.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
凄いですね~( 。゚Д゚。)
こんな雪深い山奥に海が出来たなんて(*゜ロ゜)
その潮水が涌き出たのが先ほど拝殿前にあった井戸で「潮坪」と呼ばれています。
この場所を中心に海が出来たとは(*´ー`*)
なんか凄いですね~*。・+(人*´∀`)+・。*
さて次は雪が怖いので一気に移動しますね~ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ