おはようございます。(*- -)(*_ _)ペコリ

今回は古墳を訪ねて行った柳井市立柳井南中学校です(*^ー^)ノ
しかし!
こちらの学校は前年度で閉校が決まっていまして…………
コロナウイルスの影響で3月2日突然最後の授業を迎え、3月26日には規模を縮小して閉校式が行われ、阿月・伊保庄中学校合併から五十五年の歴史に幕を閉じまし(。・´_`・。)ハァ

校訓

そんな柳井南中学校の奥にはこちらのグランド内にあった古墳が移築されています。(゜∇^d)!!

学校におられた教職員の方々に許可を得て中に入らせていただきました。(‐人‐)アリガトウゴザイマス


説明板はこの状態でした。σ( ̄∇ ̄;)

読めませんね(。・´_`・。)ハァ

そこは新婚時代に行った時の写真で(*^ー^)ノ

とは言ってもこの時点で読みにくくなっておりました(。・´_`・。)ハァ
で、ご説明を

上八古墳(こうじょうこふん)

昭和四十一年に運動場拡張工事の時に調査され、石室の一部をこちらに移築しました。(*- -)(*_ _)ペコリ
墳丘の大きさは高さ2.5m直径8.5mの古墳時代後期(六世紀初め~七世紀半ば)の円墳で、南面に開口し石室は全長7m最大幅2.5mの片袖式石室で天井に行くにつれてせり出す迫持構造(弧を描く構造)をしていました。.゚+.(・∀・)゚+.゚
発見時既に盗掘された跡がありましたが、それでも副葬品の一部は残っていました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
その副葬品は、玉類や金環と銀環・鉄鏃(てつぞく)鉄刀・土錘(どすい)・馬具の一部・須恵器・土師器等が出土されました。
埋葬された方はどうやら漁民集団と関係がある方ではないかと考えられています。(゜∇^d)!!
また、近世では神様として信仰されていたようで土師質の土器や銅銭が出土されました(‐人‐)パンパン

こちらが上八古墳です(*^ー^)ノ

左手の大きな石が飛び出ているのが片袖石室の特徴です.゚+.(・∀・)゚+.゚




続いて横にある大段石棺の説明を
こちらはかろうじて読めそうですね(*´ー`*)
古墳のあった山とその脇の平地を挟んだ向かい側にあった石棺群だったそうです。(゜∇^d)!!



こちらの中に朱が塗られているそうですが、現在見ることは出来ません(ヾノ・∀・`)

中学校が閉校になると、こちらの古墳はどうなるのでしようか?σ(´・ε・`*)ウーン


そんな不安を残しつつ柳井南中学校をあとにしました(´・ω・`)/~~


追記
今回このブログを書くにあたり、旧柳井南中学校の教職員様、柳井市教育委員会からの許可を得て書いております。(*- -)(*_ _)ペコリ