中野開作の山側に広瀬という地区があります。
そこを越えて棚井に行くとそこに辰ノ口隧道があります。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

こちらの歴史を少しだけ書きますと
毛利家は戦国時代に安芸・周防・長門・備中・備後・因幡・白耆(ほうき)・出雲・隠岐・石見の10の国を領地としていました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

ところが!
関ヶ原で敗軍の将となり、防長二州に封じられます。( ̄□ ̄;)!!

さて困った。領地は減らされ(120万石→36万石)でも家臣は変わらず養わなければなりせんσ(´・ε・`*)ウーン

そこで行ったのが世に言う防長三白(四白とも言います)です。(゜∇^d)!!
そのひとつの事業が干拓による塩田・新田の開発です。(*゜д゜*)

そうなんです。現在の宇部駅から広がる厚南平野は昔は海だったんですねぇ♪
(宇部駅の辺りの地名は未だに際波(波のきわである事の名残)なんです。*。・+(人*´∀`)+・。*)

しかし干拓をして新しく田畑を作っても水が無いと農作物は育ちません。( ;´・ω・`)

そこで作られたのが後撫育用水です(゜∇^d)!!
宝暦十三年(1763年)に毛利重就(しげたか)さんが藩政改革のためにつくった局が撫育方で、後撫育用水は藩直轄の工事で作られた用水であることになります。(*゚∀゚*)

おっと!書きすぎましたねσ( ̄∇ ̄;)

こちらが現在の辰ノ口隧道ですo(*゚∀゚*)oワクワク

埋まってますね(´▽`;)ゞ


あ!説明板がありました。(*゚∀゚人゚∀゚*)♪


なんだぁ~
こっちの方が詳しく書いてありましたよ~σ( ̄∇ ̄;)タハハ

ちなみに説明板にあった昭和隧道がこちらです(*^ー^)ノ

こちらは今も現役です。(゜∇^d)!!

今も宇部市の厚南地区にはこの後撫育用水は残り見ることが出来ます。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

この用水が200年も昔に作られ今も残っているのは素晴らしい事だと思います。
是非後世に残して欲しいものですね~*。・+(人*´∀`)+・。*