本日から狛犬ウォークの続きを書いてまいります。(*- -)(*_ _)ペコリ
今八幡宮の裏手にある豊栄神社と野田神社から再開します。(*^ー^)ノ
どちらから書こうか悩みましたがまず野田神社から書いてまいりますねぇ~.゚+.(・∀・)゚+.゚
社号標の後ろに萩の狛犬様がおられました*。・+(人*´∀`)+・。*
阿形
吽形
とにかく大きく高い位置におられるので写真が上手く撮れませんでした(。・´_`・。)ハァ
こちらの狛犬様を造られたのは萩の山中武資さんという石工でした*。・+(人*´∀`)+・。*
建立時期は明治二十四年です(゜∇^d)!!
そしてニノ鳥居……………
扁額が無くなっていましたが…………
戦時中の金属回収で取られてしまったのでしょうか(-""-;)
建立時期は大正五年です(゜∇^d)!!
こちらの鳥居を奉納された方々のお名前を見ると凄い人ばかりです((゚□゚;))
右から山縣有朋、杉孫七郎、井上勝之助(井上馨さんの御子息)、有地品之允(しなのじょう)
もうひとつの鳥居の脚には
右から寺内正毅、三浦梧樓(ごろう)、伊藤博邦(伊藤博文さんの御子息)、木戸孝正(木戸孝允さんの御子息)
やはり三浦さんと山縣さんは別の脚に名前が別れて彫られていますね(((*≧艸≦)ププッ
(この二人は奇兵隊の頃から中が悪かったんですよ( ̄ー ̄))
この奉納から毛利敬親公・元徳公への忠義は凄いものだったのですねぇ~.゚+.(・∀・)゚+.゚
さて、早速参拝しましょう(人´ з`*)
まず拝殿で参拝(‐人‐)パンパン
扁額は弊殿にありました(*´ー`*)
釣屋から御本殿
鬼瓦のところには一文字三ツ星の毛利家の家紋があります。(*´∀`*)
拝殿前には由緒がありました(*⌒∇⌒*)
が!
読めませんねぇ~σ(´・ε・`*)ウーン
もうひとつ説明板がありましたのでこちらをどうぞ(*^ー^)ノ
う~ん
なぜ野田神社というのか等詳しい事が書いてありませんね~(; ̄ー ̄A
す・少しだけ補足を
説明板の通り敬親公が明治四年に亡くなり、その二年後に敬親公の霊を豊栄神社境内に祀り「忠正神社」と称しました。(゜∇^d)!!
(忠正は敬親公の謚号(しごう)です)
明治九年に地名から野田神社と改称し、県社となりました。(*´∀`*)
県社が豊栄神社の境内別殿というのはって事で明治十九年に現在地に社殿を造営、明治三十一年には義息子の元徳公を合祀します。
さらに、大正四年別格官弊社になりました。ヽ(*´∀`*)ノ
(私はこの事を祝いニノ鳥居が奉納されたのではないかと個人的に思っております。(*- -)(*_ _)ペコリ)
おっと❗️
少しのはずがちょっと書きすぎました。o(T△T=T△T)o
明日はお隣の豊栄神社を書いて行きますねぇ~*.゚+ヽ(○・▽・○)ノ゙ +.゚*