宮川米水先生顕彰碑から更に高水駅方面を目指すとこのようのな石板がありました。( ・◇・)?

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なんだろう?( ̄~ ̄;)

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近くの方に聞くと

「詳しゅうは知らんけど行き倒れになった人の供養だと聞いたことがある。石板の裏に五輪塔があるでしょ。」

「なるほど!近くのお寺さんがその供養のために建てられたのですね。o(^o^)o」

「そこまでは知らんよ~(ヾノ・∀・`)」


そして石板を改めて見てみるとにキョロキョロ

しばらく見ていると何となく文字がみえて来ました。

写真を白黒反転させるとよくわかります。( v^-゜)♪

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「地蔵大菩薩」そう書かれていました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.


その脇には年号も

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文久三年

………………

…………………………σ( ̄∇ ̄;)

これまた馬関戦争の年です。( ̄~ ̄;)

残念ながら他の文字は読む事ができませんでした。(T^T)ウルウル

文久三年に建てられたこの石碑は馬関戦争で活躍された宍戸家や大涛緩さん等と関係があるのでしょうか?(-""-;)



そして石板の左脇の石柱には

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如来様が沢山書かれ


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文化四年(1807年)の年号と戒名と思われる文字がありました。

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そして右脇の石柱はちょっと見辛く、年号もわかりませんでした。(T^T)ウルウル

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その裏には人工的に加工された石材があり

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その脇に先程教えて頂いた五輪塔の…………………………

あれ?
これは冠念寺跡を探しみつけた一石五輪塔です(゚∀゚*)(*゚∀゚)

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五輪塔の跡もみえます。(宝珠がありました)

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この事から考えると最初にあったのは五輪塔と如来様の石柱で、その後で石板が置かれたようです。
何故ここに置かれたかはわかりませんでした。(-""-;)ウーム

しかし、石板については「三丘開邑三百六十年誌」(有馬草々子著)にこの年の出来事が書いてありました。

「この年は夏以来蝗害、風害、天候不純等により大凶作」

この事からイナゴが大発生し、風も強く、天候が良くなかったので大凶作となった事がわかります。
おそらく当時の人々はお地蔵様に救いを求めたのではないでしょうか?( ̄~ ̄;)



数メートル進むと岩徳線をくぐって来る道と合流します。

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そこには石燈籠が1対ありました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

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高水神社常夜灯でした。ヽ(*´∀`*)ノ


さて、私はどちらに進めば良いのでしょう?( ̄~ ̄;)

高水神社?

山陽道?

どちらに進んだかは明日わかります。( v^-゜)♪