郡境碑を過ぎ、岩徳線の踏み切りを渡ると新町という部落に入ります。o(^o^)o
そこでこのような石碑がありました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
米水宮川さんって誰だろう?( ̄~ ̄;)
調べてみると「ふるさと探訪 熊毛町」にありました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
「宮川米水先生顕彰碑
宮川米水先生は、文政六年(1823年)宍戸家臣中村謙斉の二男として生れ、6歳の時宮川政昌さんの養子となります。
宮川視明が本名で、米水と号とします。
徳修館で勢一尚古(しょうこ)先生(徳修館二代目館長)に漢籍(簡単に言えば漢文)を学び、安政五年(1858年)徳修館四代目館長となりました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
文久三年(1863年)五月に藩主宍戸親基(藩主の宍戸ちかもととありますが宍戸家は家老なので書き間違いではないかと思います)の参謀として下関に行き、外国艦砲事件の応接係として外国艦に出向きました。
明治三年には山口藩の命により熊毛郡郷学長引立役及び熊毛郡第二小学校教師となりました。
そして明治八年病気のため退職し、私校磨鍼塾(ましんじゅく)を開いて他方子弟の教育に尽力し、明治十三年(1876年)五十八歳でお亡くなりになりました。」
また文久三年の馬関戦争が出て来ました。(゜ロ゜;ノ)ノ
そういえば、高杉晋作さんもこの時宍戸家の養子となり宍戸刑馬と名のってましたね(´▽`;)ゞ
ここ数日で文久三年の事ばかり出て来ます。( ´~`)
この年、この熊毛町(現周南市)ではどのような雰囲気であったのか気になりますね~( ̄~ ̄;)
さぁ!次に………………
石碑の横に階段がありますね?( ・◇・)?
一番!( ̄□ ̄;)!!
でも二番は?( ・◇・)?
三番札所は宗泉寺跡にありましたが?( ̄~ ̄;)
二番は見逃したのかぁ~( ̄□ ̄;)!!
二番札 癒す笑顔の 藤の花
なーんて似合いませんね。(´▽`;)ゞ
そこでこのような石碑がありました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.



米水宮川さんって誰だろう?( ̄~ ̄;)
調べてみると「ふるさと探訪 熊毛町」にありました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
「宮川米水先生顕彰碑
宮川米水先生は、文政六年(1823年)宍戸家臣中村謙斉の二男として生れ、6歳の時宮川政昌さんの養子となります。
宮川視明が本名で、米水と号とします。
徳修館で勢一尚古(しょうこ)先生(徳修館二代目館長)に漢籍(簡単に言えば漢文)を学び、安政五年(1858年)徳修館四代目館長となりました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
文久三年(1863年)五月に藩主宍戸親基(藩主の宍戸ちかもととありますが宍戸家は家老なので書き間違いではないかと思います)の参謀として下関に行き、外国艦砲事件の応接係として外国艦に出向きました。
明治三年には山口藩の命により熊毛郡郷学長引立役及び熊毛郡第二小学校教師となりました。
そして明治八年病気のため退職し、私校磨鍼塾(ましんじゅく)を開いて他方子弟の教育に尽力し、明治十三年(1876年)五十八歳でお亡くなりになりました。」
また文久三年の馬関戦争が出て来ました。(゜ロ゜;ノ)ノ
そういえば、高杉晋作さんもこの時宍戸家の養子となり宍戸刑馬と名のってましたね(´▽`;)ゞ
ここ数日で文久三年の事ばかり出て来ます。( ´~`)
この年、この熊毛町(現周南市)ではどのような雰囲気であったのか気になりますね~( ̄~ ̄;)
さぁ!次に………………
石碑の横に階段がありますね?( ・◇・)?

一番!( ̄□ ̄;)!!

でも二番は?( ・◇・)?
三番札所は宗泉寺跡にありましたが?( ̄~ ̄;)
二番は見逃したのかぁ~( ̄□ ̄;)!!
二番札 癒す笑顔の 藤の花

なーんて似合いませんね。(´▽`;)ゞ