淡海道を島田川上流方面に進むと街道に合流します。
これが山陽道です。( v^-゜)♪
その山陽道との合流地点の側に違和感の固まりの場所が見えてきます。( ̄~ ̄;)
こちらは江戸時代中期に書かれた「地下上申」にも載っている宗泉寺さんです。
廃寺になってそう古く無いのか見るからにお寺の跡だとわかります。
さて、宗泉寺とはどのようなお寺だったのでしょう?( ・◇・)?
先ほどの「地下上申」によると
・浄土宗 珠光山宗泉寺と昔からあったそうです。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
開山由来等は一切不明で、わかっているのは述宝年間(1673~81年)に円法和尚さんが再建して寛保元年現在(1741年)十一世(現在)の碩応和尚まで続いています。
・御本尊は阿弥陀如来様
・本寺は京都の智恩院
ここまでが寛保元年当時の状況です。
では現在は?( ・◇・)?
石垣がお寺であった事を伝えています。( ̄~ ̄;)
こちらは淡海和尚様が道が出来た(淡海道)事から西国三十三ヶ所巡りの石仏を置いたそうです。
この時宗泉寺さんはなかった事が想像できます。
(よそのお寺の和尚さんが寺の境内に石仏を置くのはおかしいですもんね。(´▽`;)ゞ)
まず、左側の二体の石仏を
二十九番は
建立時期は天保六年(1835年)ですのでやはり淡海和尚と合致しますね。( v^-゜)♪
こちらは三十二番
こちらは三十三番
最後は三十番
(竹生嶋とあるのは別称が竹生島宝厳寺だからです)
全て天保年間、しかも淡海道が出来たあとの時代に造られた石仏でした。( v^-゜)♪
その先にはかつてお寺であったと思われる石垣が残っていました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
何か痕跡がないか探していると三番の札所が?( ・◇・)?
これは八十八ヶ所霊場巡りの三番目でしょうか?( ̄~ ̄;)
これを探してまわったらどれだけかかる事か………………(´_`。)゙
取り敢えずこれにて宗泉寺跡散策は終了です。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
明日から書くのは山陽道を高水方面に向かった事を書こうと思います。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
(本物の山陽道は藪化した箇所があるので新道の方を書こうと思います。(゜∇^d)!!)
これが山陽道です。( v^-゜)♪
その山陽道との合流地点の側に違和感の固まりの場所が見えてきます。( ̄~ ̄;)
こちらは江戸時代中期に書かれた「地下上申」にも載っている宗泉寺さんです。
廃寺になってそう古く無いのか見るからにお寺の跡だとわかります。
さて、宗泉寺とはどのようなお寺だったのでしょう?( ・◇・)?
先ほどの「地下上申」によると
・浄土宗 珠光山宗泉寺と昔からあったそうです。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
開山由来等は一切不明で、わかっているのは述宝年間(1673~81年)に円法和尚さんが再建して寛保元年現在(1741年)十一世(現在)の碩応和尚まで続いています。
・御本尊は阿弥陀如来様
・本寺は京都の智恩院
ここまでが寛保元年当時の状況です。
では現在は?( ・◇・)?
石垣がお寺であった事を伝えています。( ̄~ ̄;)

こちらは淡海和尚様が道が出来た(淡海道)事から西国三十三ヶ所巡りの石仏を置いたそうです。
この時宗泉寺さんはなかった事が想像できます。
(よそのお寺の和尚さんが寺の境内に石仏を置くのはおかしいですもんね。(´▽`;)ゞ)
まず、左側の二体の石仏を

二十九番は

建立時期は天保六年(1835年)ですのでやはり淡海和尚と合致しますね。( v^-゜)♪
こちらは三十二番

こちらは三十三番

最後は三十番

(竹生嶋とあるのは別称が竹生島宝厳寺だからです)
全て天保年間、しかも淡海道が出来たあとの時代に造られた石仏でした。( v^-゜)♪
その先にはかつてお寺であったと思われる石垣が残っていました。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.


何か痕跡がないか探していると三番の札所が?( ・◇・)?

これは八十八ヶ所霊場巡りの三番目でしょうか?( ̄~ ̄;)
これを探してまわったらどれだけかかる事か………………(´_`。)゙
取り敢えずこれにて宗泉寺跡散策は終了です。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
明日から書くのは山陽道を高水方面に向かった事を書こうと思います。.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
(本物の山陽道は藪化した箇所があるので新道の方を書こうと思います。(゜∇^d)!!)