以前ブロ友のpuniさんが豊後峰の記事に書かれていた力石
おそらくpuniさんは「防長山野へのいざない「第4集」」の案内図に力石っと書かれていたのでそう書かれていたのでしょう。
そしてコメントを頂いた高島さん質問に答えるべく調べてみました。( v^-゜)♪
(私も気になっていましたので(´▽`;)ゞ)
ところが!
人に聞こうにも民家なし(-""-;)ウーン
こうなれば図書館だ
しかし、手掛りなし………………
かぁ~(* ゚∀゚)
この力石と関係があるかわかりませんが気になる記事を見つけました。
「大和町地名あれこれ 松岡宣夫著」の宮ノ奥の項に
「地下上申絵図をみると江戸時代は、高森村中山に通ずる道でその道筋には「代官札」が立てられ薬師堂もあったが、天保13年(1842年)の淫祠の解除にあって取り除かれている」
(地下上申絵図とは、享保12年(1727年)~宝暦3年(1753年)に萩藩府の絵図方頭人・井上武兵衛宛に報告した藩内の村の情勢や概要をまとめたもので、現代風に言えば各地区の案内マップみたいなものです)
得た情報はここまで。(T^T)
そこで想像してみることにしました。o(^o^)o
その1
力石は代官札を立てる目印の石であった
(力を持った札が立つ石で力石)
その2
薬師堂の境内にあった石に薬師如来の力納め、取り除かれた跡もお薬師様として民や旅人を護り続けている。
(薬師様の力を持った石で力石)
その3
豊後峰の杵崎社の雨乞いで使用する薪を運ぶ際こちらで休憩し、薬師様の力を頂き登って行った。
(その際この石に触れると力が出たので力石っとなった)
その4
この石は恵比須様ではないか?
(海の近くなら流れ神ですがここは山の中です。しかし恵比須様には違う1面もあり、古事記の中では火遠理命(ほおりのみこと)(別名 山幸彦)とありますので雨乞い神事の際、炎の神様として祀られていたのでは?)
これは弘化5年(1848年)に書かれた「束荷村淫祠解除跡并森林採用跡田畠山野合壁山野取仕出帳」(国光万里家文書)にある粟屋権現馬場の元には恵比須社があった事が書かれています。
祠は無くなりましたが石はそのまま残され、今は違う意味で信仰の対照になっている。
本当はどうなのか?知っていると思われる方のあてはありますがなかなか出逢えません。(T^T)
その方に会って真実を聞いたときに私の想像が当たっていたらいいなぁ~(人´ з`*)♪
おそらくpuniさんは「防長山野へのいざない「第4集」」の案内図に力石っと書かれていたのでそう書かれていたのでしょう。
そしてコメントを頂いた高島さん質問に答えるべく調べてみました。( v^-゜)♪
(私も気になっていましたので(´▽`;)ゞ)



ところが!
人に聞こうにも民家なし(-""-;)ウーン
こうなれば図書館だ
しかし、手掛りなし………………
かぁ~(* ゚∀゚)
この力石と関係があるかわかりませんが気になる記事を見つけました。
「大和町地名あれこれ 松岡宣夫著」の宮ノ奥の項に
「地下上申絵図をみると江戸時代は、高森村中山に通ずる道でその道筋には「代官札」が立てられ薬師堂もあったが、天保13年(1842年)の淫祠の解除にあって取り除かれている」
(地下上申絵図とは、享保12年(1727年)~宝暦3年(1753年)に萩藩府の絵図方頭人・井上武兵衛宛に報告した藩内の村の情勢や概要をまとめたもので、現代風に言えば各地区の案内マップみたいなものです)
得た情報はここまで。(T^T)
そこで想像してみることにしました。o(^o^)o
その1
力石は代官札を立てる目印の石であった
(力を持った札が立つ石で力石)
その2
薬師堂の境内にあった石に薬師如来の力納め、取り除かれた跡もお薬師様として民や旅人を護り続けている。
(薬師様の力を持った石で力石)
その3
豊後峰の杵崎社の雨乞いで使用する薪を運ぶ際こちらで休憩し、薬師様の力を頂き登って行った。
(その際この石に触れると力が出たので力石っとなった)
その4
この石は恵比須様ではないか?
(海の近くなら流れ神ですがここは山の中です。しかし恵比須様には違う1面もあり、古事記の中では火遠理命(ほおりのみこと)(別名 山幸彦)とありますので雨乞い神事の際、炎の神様として祀られていたのでは?)
これは弘化5年(1848年)に書かれた「束荷村淫祠解除跡并森林採用跡田畠山野合壁山野取仕出帳」(国光万里家文書)にある粟屋権現馬場の元には恵比須社があった事が書かれています。
祠は無くなりましたが石はそのまま残され、今は違う意味で信仰の対照になっている。
本当はどうなのか?知っていると思われる方のあてはありますがなかなか出逢えません。(T^T)
その方に会って真実を聞いたときに私の想像が当たっていたらいいなぁ~(人´ з`*)♪