生野地区を訪ねた訳はもうひとつありました。

それは、宿題となっていた生野の荒神社です。( v^-゜)♪


こちらの神社は以前書いた鹿の石荒神社

https://blogs.yahoo.co.jp/it1035656/40272336.html
(こちらを参照して下さいね)

と共に明治39年佐田荒神社に合祀されました。(´・д・`)

これは明治政府が神社寺院仏堂の合祀に関する法律を作ってしまったからです。
(大和町地名あれこれ 松岡宣夫著 より)



なんでこんな法律を作ったのか?

それは神社の数を減らすことにより合祀した神社に氏子さんをまとめて寄付を集め、設備の充実や神社の威厳の向上、継続的な経営を確率させそうっと言った狙いがありました。

しかし!
反発も大きく、反対運動の激化等で政府による強行な合祀法律は明治43年頃から合祀の動きは収縮の方向に向かいます。

ですがこの合祀政策が残した爪跡は大きく、多数の祭礼習俗が消えてしまいました。(T^T)ウルウル


あー!
また脱線してしまいました。あせる


そうそう、生野荒神社は以外にも簡単に見つかりました( v^-゜)♪
昨日書いた薬師堂のそばにありました。(゜ロ゜;ノ)ノ

こちらが生野荒神社です。(*^ー^)ノ♪

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鳥居も石燈籠も何もありません。(´▽`;)ゞ

こちらが生野荒神社っとわかったのは松岡先生が残してくれた著書「大和町地名あれこれ」の中にこの写真が載っていました(*^ー^)ノ♪

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社の前に見える四角い箱それは

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手水鉢でした。( v^-゜)♪

さらに松岡先生の本によると
「昭和29年に社殿を新築、鎮守社として荒神社・稲荷社・金比羅社・天王社が安置された」
っとあります。

帰り際にみつけたこの看板

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これは中が見れる絶好のチャンスです。( v^-゜)♪



そして昨日、早速行ってみました。(人´ з`*)♪

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到着時はとても明るい日射しが差し込むいいお天気でした。♪ヽ(´▽`)/

お祭りはまだ始まる前でした。σ( ̄∇ ̄;)

お社の中には3つの祠がありました。( v^-゜)♪

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私の住んでいる地区を教えましたら
「それはまた遠いとこから」
「私ら謂れも何も知らんのんよ~」
「中が見たいん?(見たいの?)どうぞ(*^ー^)ノ」

では、お言葉に甘えて

先ほどの写真右から
生野稲荷社

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そして真ん中のひとまわり大きな祠には二社祀られていました。

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金比羅社と天王社

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そして最後に生野荒神社です。(*^ー^)

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始まるまでしばし時間がありましたので生野地区の方とお話をしておりました。(*´▽`*)

え!
この裏山には三十三体の観音石仏がおられるのですか!(゜ロ゜;ノ)ノ
しかも天明四年(1784年)のものですか!゚+。:.゚(*゚Д゚*)゚.:。+゚

「道が荒れとるし、石仏も結構倒れとるからあんまり行かん方がええよ」
道が荒れてるのはいつも行っている場所も同じです。
「大丈夫です行って来ます。(人´ з`*)♪」
(三十三石仏の記事はこのあと夜にでも書きますね。(゜∇^d)!!)


山からおりて来るとすでに神主さんが来られてました。ヽ(^o^;)ノセーフ

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こちらの宮司さんは多賀神社の宮司さんだそうです。(* ゚∀゚)

あれ?
多賀神社は田布施町のはず、こちらは江戸時代から佐田村だったはずです。
私はてっきり佐田八幡宮の宮司さんが来られると思っていました。(´▽`;)ゞ

こちらの地区の方々から色々と教えて頂きました。
昭和29年にこちらのお堂を建ててお祀りした。その時の事を教えて頂きました。(*- -)(*_ _)ペコリ

宮司さんが祝詞をあげ始めました。(‐人‐)

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江戸時代の書物にも出てくる生野荒神社
色々調べてみましたが創建は不明でした。
せっかくなので地元の方に聞いてみましたがやはりわからないとの事(>_<)

厳かに行われた生野荒神祭、今回参列したのはわたしを含め6名でした。

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そしてお祭りも無事終了

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途中には雨もパラツキましたがなんとかもち応えました。♪ヽ(´▽`)/

おかげてこんな素敵な景色を観ることが出来ました。♪ヽ(´▽`)/

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来年もまた行こう!っと心に誓う私でした。(*^▽^*)


生野地区の皆様、突然の訪問に優しく接して頂き誠にありがとうございました。(*- -)(*_ _)ペコリ
(この時に隣の薬師如来像の写真の添付の了解も得ましたので、昨日のブログには薬師如来像の写真を掲載いたしました。)