ブロ友のpuniさんが去年登られた枡形山の記事

http://blogs.yahoo.co.jp/chocoballque/65983608.html

そこの岩のことが気になり調べてみると面白いむかし話が出て来ましたのでご紹介いたします。♪ヽ(´▽`)/



「枡形山由来記」

ある年の孟蘭盆(うらぼん)前のこと、一門宍戸家の三丘領安田庄界隈にどこからともなく見慣れない托鉢をしてまわるひとりの僧侶が現われた。
持ち物は錫杖のかわりに大きな団扇(うちわ)、その団扇には次のような唄の文句が筆太に書いてあった。

「斗形枡形ヒヨ鳥超えの峯を境に三丘領」

その僧侶はこれをまるで呪文のように唱えながら、里から里へと巡り歩いていた。
そしてその得体の知れぬ僧侶の姿はいつのまにか霧に写った影のように人々の記憶から消えていった。
しかし、その残した唄だけは盆踊りの唄として歌い継がれていきました。

その頃枡形山はまだ無名の山であり、東の吉川家、西の宍戸家も我が領土として主張して譲らず長年争いの種となっておりました。

この僧侶と前後してもうひとつ奇っ怪な事が起こりました。
ある大嵐の夜のこと、数人の黒い影が暗闇に紛れ名無し山に登って行った。何のためか知らないが、その影はやがて持っていた石ノミ、石ヅチで作業をはじめた。
翌朝、木こりが名無し山に登ってみると頂上の大岩に斗形枡形の印が彫りこまれていました。それ以来誰いうことなく「枡形山」と言うようになった。



さて、この枡形山を巡る争いが数年後再燃いたします。

「この際難しいことは云わず、両家の末長いよしみのためにハッキリとさせましょう」
っと三丘側の家老が口火を切った。

「貴方には境をこれっと決める証拠でもおありか?」岩国側の家老がブスッとした顔で言い放った。

「さすれば、我が方には古い昔よりこのような盆踊りの唄がございしまて、ひとつお耳を汚すとしましょうか」
そういうと三丘の家老は立ち上り

「斗形枡形ヒヨ鳥超えの峯を境に三丘領」

扇子で膝で拍子を取りながら繰返して歌った。

そして岩国側の家老に対して

「この唄が何よりの証拠にございます。嘘と思われるならば枡形山に登ってくだされ。頂上の大岩にはこの唄の通り、天狗様が彫ったという枡形の刻印が大昔からちゃんとありますから」




<参考>角北斗
この話は、古くからこの地方に伝わる口碑伝説ですが、史実は、寛永二十年(1643年)岩国領の中山村と、本藩領三丘村との間に境界論争が起こり、三年を経過して中山村におさまりました。

(全て周東町史より参照)


なるほど!
しかし、それが現在まで残っているのはすごいですよね~.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

イメージ 1

(枡形山山頂に今なお残る五つの桝形)



puniさん写真転用させて頂き感謝いたします。m(_ _)m
今回の記事はpuniさんなくては書けないむかし話でした~.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
(今の私の膝では登れません。・(つд`。)・。)