よく訪れる「伊藤公資料館」(人´3`*)~♪

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今回はこちらに紅葉を撮りに行ってきました。(*^O^*)

その時の写真はこちらを参照してくださいね。(´▽`;)ゞ


何度も書いておりますので簡単にご説明板から

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こちらが伊藤博文さんの生家です(*^ー^)ノ♪

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以前も書きましたが、生家裏にはこのような石碑があります。

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産湯の井戸と産湯の水

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さて帰りますかぁ~(*´∀`)


帰りしな、冒頭のこの銘石の看板を見ていて気がついた事がひとつ

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この文字を書いたお方のお名前が

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「宙造」………

もしかしてあの岩田宙造さん!?(|| ゜Д゜)

お庭を整備されていた係りの人に許可を得て看板の裏にまわると


やっぱり!岩田宙造さんでした♪ヽ(´▽`)/

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(見えづらいので白黒判定で載せております)



あ!
岩田宙造さんってあまり知られていないでしょうか?

では岩田宙造さんの事を少しだけご紹介します。(*^ー^)ノ♪




岩田宙造さんは、明治八年に

立野村

のわりと裕福な庄屋樋山家の樋山彦七さんの次男として生まれます。頭が良かったのでしょう、宙造さんは二十三歳で東大の法学科を主席で卒業されました。(*^O^*)ワタシトハデキテガチガウ

その後各大学で後進の指導に勤めながら

政治家

を目指します。

その後新聞論説記者として1年働きますがここで一転

弁護士

になります。
(その新聞記者時代に北海道出身の岩田ヤエ(華奈子)さんと結婚して岩田家を継ぐ事になります)

弁護士を開業すると生まれ故郷の立野村の何キロしか離れていない所出身の伊藤博文のお力添えもあったのでしょうか宮内省、日本銀行等なだたる企業の顧問弁護士を勤めます。( v^-゜)♪

もちろん弁護士としては有能で「司法の父」と呼ばれるほど凄かったようです。
(その時代私は生きていないのでよくわかりませんがσ( ̄∇ ̄;))

そしてあの「虎ノ門事件」の

難波大助さん

の官選弁護人をつとめています。
難波家と岩田宙造さんの実家の樋山家は立野川を挟んだ所両家とも見える位置にあります。
裁判は大助さんの一言弁護士としては打つ手なしになりましたがσ( ̄∇ ̄;)

その後貴族院の議員になり、司法大臣になります。
あまりの力(頭脳)により何度も司法大臣を打診されますがこれを固辞して昭和四十一年に亡くなられおられます。(‐人‐)ナムナム

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(國廣哲也先生著 光市史跡探訪第2集より参照)


別にどうでもいい事なのですが伊藤博文さん・岩田宙造さん・難波家
全て徒歩圏内なのです。

しかも虎ノ門事件に使われた銃は伊藤博文が元々持っていたもの。
それを使って昭和天皇(当時は皇太子)を狙撃した難波大助さん。
大助さんの弁護士が岩田宙造さん。
しかも大助さんの父作之進さんは衆議院議員。

なんとなく馬鹿な私の頭の中が妄想から暴走に変わりそうなのでここで一旦終わります。m(__)m
纏り無く(申し訳ございません。(_ _(--;(_ _(--;)