光市の里の厨に行った時に見つけました。(゜∇^d)!!

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この道を通っているとき

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鳥居?どっからいくの?(; ̄Д ̄)?

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参道がわかりません。でも正面に無いということは脇にあるはず!o(*⌒―⌒*)o


あら!以外と簡単にみつかりました。σ( ̄∇ ̄;)

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この道を行くと鳥居と石祠がありました(゜∇^d)!!

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この鳥居の建立時期は文政三年(1820年)
今から200年以上前の江戸時代建立でした。(o゚Д゚ノ)ノ

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しかも倒れないようにコンクリートでガッチリ固定されています(´▽`;)ゞ


そして御本殿ともいえる石祠

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違和感あったので横もパシャカメラ

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何故か石祠の扉石だけ材質が違います。σ( ̄∇ ̄;)
そして鳥居同様台座がコンクリートです。でも御本殿だけあってコンクリートの外枠は御影石です。( ´∀`)

その脇には広いスペースがあります。

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振り返ると………………





うわぁ!((゚□゚;))



崩れている建物が!ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!

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これからは想古学です。("⌒∇⌒")

昔はお社もあった神社で、この辺りの鎮守様?荒神様?であった。

地区の人々から大事にされ信仰の厚い神社で、夏祭りも盛大に行われた。

壊れたのは社務所で氏子さんも少なくなり今に至る。


そう考え周りを調べました。♪ヽ(´▽`)/



ところが!
ないのです( ・◇・)?

お社があったのであればある大事なもの。
石燈籠・手水鉢が見当らないのです(ヾノ・∀・`)

この時点で、私の想古学は空振りに終わりました。(´▽`;)ゞタハハ

ではここに祀られているのは?江戸時代からあるならば何か痕跡があるはずです。("⌒∇⌒")


石祠には何もありませんでした。σ( ̄∇ ̄;)

残るはひとつ鳥居ですヽ(*´▽)ノ♪

こちらの鳥居をみると

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笠は反り上がり美しい形状をしています。♪ヽ(´▽`)/


しかし貫がありません。(ヾノ・∀・`)
跡があるので落ちたのでしょう。
額束も貫も明らかにこの鳥居が建立された時のものでないのはわかります。( ̄▽ ̄;)

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ここであることに気がつきました。

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よくみると笠と脚の部分がコンクリートで補強されている!

と言うことはその時に貫の石材は真ん中と両側は既に無かった事がわかります。
したがって額束も無い。

では何故無かったのか?

考えられるのは

1,壊れたのをなおそうとしたら既に石材は無かった。(転用された?)

2,鳥居は元々別の所にあり,この場所に持って来た。

以上が考えられます。("⌒∇⌒")


それを考えながら降りて行くとひとりのお嬢様に!d(⌒ー⌒)

お話を伺うと

「知らない(ヾノ・∀・`)
なんか聞いた話だと山の上にあったものを下ろして来たらしいですよ。隣のお宅が詳しい」

ならば!隣のお宅へε=ε=(ノ≧∇≦)ノ

ひとりのお姉様が出て来られお話を伺う事が出来ました。(人´ з`*)♪

こちらはお稲荷様で、昔からある

その情報が精一杯でした。σ( ̄∇ ̄;)


この事からわかったことは

・ここは稲荷神社である。

・山の上から下ろして来た。



これと先程の石鳥居から得た情報から
私はこう想像します。

稲荷神社はおそらく商売繁盛ではなく、五穀豊穣を祈願した稲荷神社ではないか。
理由は,ここの地名「束荷」です。
束荷は稲を束にし、この場所に集め荷造りをした場所からその名がついたと聞いた事があります。("⌒∇⌒")
だから稲がたくさん集まるよう、稲荷神社は皆を見守れるように高台にあった。


そして時代は流れ,今の世になり氏子さんも減り今の位置に下ろして来た。

その際鳥居を再利用しようとして運搬していたら貫の部分が壊れたでは?(; ̄Д ̄)?

でもこれはあくまで私の想像です。

想像ですが、山に石燈籠の跡があれば本当になるかも!d(⌒ー⌒)

早速行ってみ…………………

ん( -_・)?

ガサカザ



~>゜ーーー ニョロニョロ

蛇だぁーーーー((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

この週末だけで蛇を8回みました。もう山のシーズンは終わりでしたね。σ( ̄∇ ̄;)
次ここに来るのは12月にするとしましょう。σ( ̄∇ ̄;)