今回は私が勝手に想像した想古学を書きます。
私が想像しているだけなので何の意味もありません。ただ、自分が今どう考えているのか、どういう想像をしているのかを忘れないためです。(゜∇^d)!!



まずこちら!
浅江の潮音寺山の裏にある公園の脇、中村地区に行く道沿いにある道標石(゜∇^d)!!

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妙見道とあります。σ( ̄∇ ̄;)

そして

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妙見中宮二三

とあります。

これは降松神社の中宮を意味しているのではないかなぁ?
そして妙見道は昔から光市と下松市を繋ぐ道ではないか。ひょっとして光市の三井地区にあった妙見社と降松神社が結ばれていて、その祭で使われた道ではないのか?(´・ω・`)?
でも証拠もない。その当時に生きて見ていたわけでもないけどそういう風に想像しました。σ( ̄∇ ̄;)


そしてこちらの写真から想像したのは

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有飯八幡宮が岩清水八幡宮より勧請された事。
そして現在の島田中学校側の石田地区は昔岩清水八幡宮の神田であった事。

もし、江戸時代この石田地区の方がうちの御先祖様がお世話になったと、有飯八幡宮に参拝するようになったとしたらどうでしょう?
(近くに岩清水八幡宮と縁の神社は他にはありません。(ヾノ・∀・`))

導祖神と書いたのは有飯八幡宮に導く道路に造ったので道祖神とかけたのではないなかなぁ~( ̄▽ ̄;)

そして八幡宮常夜燈は石田地区から十キロ近くの道のりを歩いて来る方々のために造られたものではないか?

川下の方から川を渡れた方の為に、小野地区にそして川上の方から川を渡る方の為に小周防地区にそれぞれ八幡宮常夜燈が設置されたのではないなかなぁ?(´・ω・`)?

だから有飯八幡宮の氏子さんで大庄屋の三輪善兵衛さんの石燈籠が新宮地区にあるのではないでしょか?


そして八幡所!

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こちらは有飯八幡宮の免田(税が免除される田畑の事)があった場所ではないのかな?σ(^_^;)?
だから八幡宮の田圃があった場所で八幡所になったのではないだろか?σ(^_^;)?

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今も田圃が一面に広がっています。(゜∇^d)!!


そして最後はこちら

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新宮です。

八幡所の側だから有飯八幡宮と関係があるのかなぁと考えたのですが、でもそれならば「新」という文字がおかしいですよね?
新しいお宮で新宮。もし、この文字が「神」や「真」ならばどうでしょう?

真の神様がおられた場所。
たとえば元々ここにはお宮があり、違う場所に、移動された等(たとえば乳観音の脇のお宮とか)。
その為真の宮があった場所、すなわち真宮で後々文字が代わってしまった?σ(^_^;)?


それともどこからか新しいお宮が勧請されたので新宮となり、そのお宮がまた移ってしまった?
それともこちらの神様が新宮なのか?

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私は最後の新しい神様が来られて新宮となったのではないかと想像します。(* ̄∇ ̄*)

(その神様が下関から来たとすれば清末藩の家紋があってもおかしくないので。σ( ̄∇ ̄;))


いずれにしても私の想像ですので、違う事がいっぱいあると思います。σ( ̄∇ ̄;)

あくまで想像です。本当の事かどうかそれはわかりません。σ( ̄∇ ̄;)
だから絶体に参考にはしないで下さいね。m(__)m