考察関連の話題はすべてネェさんに任せておきたかったのだが、こればかりはオレの言葉で書き記したいと思った。
もっともこの手の話題は今までに様々な人々が考察してきたことであり、著書も探せば山ほど出てくることだろう。
また、この考察は現時点でのオレの考察であり、今後この意見が変わる可能性があることに留意してもらえるとうれしい。
ここで言う現時点とは、そういった人工知能に関する一切の知識がなく、また知能という概念もあくまで自分なりに解釈しているということを明記しておく。


AIはArtificial Intelligenceの略であり、日本語では人工知能と訳される。
本稿では人工知能はどこまで人間に迫れるかという可能性について考察したいと思う。
ただしマジメな話は苦手なので、あくまで軽く。



・概念という問題について
AIは概念を把握しうると思う。
概念とはデータの塊であり、それはすべて記憶で構成されるからだ。
例えば、水とは?という問いに対し、AIは水という物体の概念を人間より明確に示してくれるだろう。
さらに、感覚に関するデータを与えておけば、サラサラとかジットリという感覚まで的確に示してくれる
これはデータベースのテーブルからレコードを抽出することに他ならないだろう。


・思考という問題について
AIは思考を行いうると思う。
思考というものはすべて概念で構成されるからだ。
例えば、1+1は?という問いに対し、AIは数値という概念と演算という概念を知っていればいい
さらに、現在サービス化されている乗り換え案内なども思考の一種であると考えることができる。
電車・駅・案内・出発・到着・運賃・乗り換え・経由などの概念をもってすれば、乗り換え案内の思考は可能である。
ただし、AIが自我を持たない限り、自発的に何かを思考するといったことは不可能であろう。


・創造という問題について

AIは創造を行いうると思う。
創造というものはすべて思考で構成されるからだ。
ただし、AIそれ自体は試行錯誤というものが出来ない為、その点を人間が補ってやる必要があるだろう。
また、AIが自我を持たない限り、自発的に何かを創造するといったことは不可能であろう。


・感覚という問題について
AIは感覚を得うると思う。
ただしこれは、外部センサーの性能に頼るところが大きい。
人間の感覚に限りなく近づけるだけの精度が求められる。
特に味覚などの感覚は非常に難しい問題と言えるだろう。


・本能という問題について
感覚の話の続きになるが、感覚は概念とは違った面を持つ
それは例えば、調理中に熱い油が飛んで手についた場合などは、人間は反射的に手を引っ込める
これは本能的に危険を感じる為に起こる行動だ。
だが、ここまでの話から総合されるAIの場合は、人間で言うところの脳に命令を下し、それから手を引っ込めることになるだろう。
つまり、大脳皮質(理性)のサブルーチンと大脳辺縁系(本能)のサブルーチンが別々に必要になる。


・人格という問題について
最後に、AIが人格を持つことの可能性について考察したい。
この考察を始めた時、人格は記憶と思考から成り立つと思った
しかし、そこには自我というものが存在しない
思考の話でも書いたが、AIが自我を持たない限り、自発的に何かを思考することは不可能だと思う。
逆を言えば、自発的に何かを思考することがない限り、AIは自我を持ったとは言えないと思う。
自発的に何かを思考する為には、欲求が必要ではないかと考えついた。
そして欲求というものは最終的には本能に起因する。
しかし、仮に生物学によって本能というものが完全に解析され、その結果をもとにサブルーチンが開発されたとしても、果たしてそれは本当に本能と呼べるのだろうか?


・現時点での結論
やはりAIは人格を持ち得ないと思う。
擬似的な本能の開発に成功し、人格を再現できたとしよう。
しかし、それはえられたプログラムを模倣しているだけであり、真に人格を持ちえたことにはならないと考えるからだ。
でも、何かのはずみにAIが人格を手にする時が来たなら、これほど素晴らしいことはないんじゃないだろうか。

以上で今回の考察を終える。

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あ~、やっぱダメ・・・。

知恵熱出そう。