戦艦大和 | 石くんのひとりごと(?)

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神奈川県央地域のIT業者グループ「かながわIT推進会」の石くんが気まぐれで書く日記。ひとりごと? ぼやき? だじゃれ? 無責任にゆる~く書くのでゆる~く読んでください。

戦艦大和

「生存者が語る戦艦大和最期の一日」というドキュメンタリー映画を見たんだけれどもさ。

世界一最強でどでかい戦艦を何故建造したのか、何故大和は簡単に撃沈されたのかが不思議だったんだけど、このドキュメンタリーを見てよくわかったよ。確かに歴史の落し子だと思うな。日本海軍の読みの甘さとか言うけどさ・・・。

 内容はこういう事よ。

さかのぼること「日露戦争」でさ、ロシアのバルチック艦隊を日本海軍が撃破して日本海海戦は終結した訳だけど、この結果日本が世界で認められたわけさ。そして、日本が世界の仲間になった途端にアメリカを初めとする先進諸国が軍縮協定を作っちゃったわけだよ。アメリカは戦艦を10数隻もてるとか日本は7隻しか持てないとかね。先進諸国なんて自分たちの都合のいいように条約など作るのは今でも同じだな。


日本はそこで考えた訳ね。少ない戦艦でも大砲の射程距離を長くすれば接近前に相手を攻撃できる・・・とね。そこででかい大砲を積んだ船となると当然図体もでかくなるし、スピードも遅くなる。そんな計画がばれては世界中から非難が集中するってんで、極秘に建造したらしいよ。だから、日本の先端技術を駆使して建造した結果、結果として日本の造船技術は世界一になったわけでさ。船首下の丸くなった先端も波の抵抗を少なくして速度を上げるためのものらしいからな。


でも、もうその時代は船の戦いから空の戦いへ移行していたんだよな。日本海軍もチグハグでさ、それ以降におこる、太平洋戦争では日本は真珠湾攻撃を空から行なって、戦闘機の優位性を知っていたんだからな。太平洋戦争中はいろんな事情で出番が少なくてさ、そのうち日本の負けが濃くなってきてさ、殆どの戦艦は戦いで敗れてきて、戦艦大和は何をしてるんだ・・・という風潮が強くなってさ、その時にはもうこんなどでかい戦艦じゃ戦にならないのは知っていたんだけど、他の人間がどんどん死んでるのに批判が集中したんだよな。だから最期は護衛も無し、燃料も片道しか無しでの特攻作戦だった訳よ。3000人の生命を乗せてだよ・・・。結果、300機からなる戦闘機と魚雷の丸裸での狙い撃ちさ。


戦艦大和が残した教訓はさ、国力を挙げて膨大な費用を投資するときの将来を予測する判断が甘かったときの付け届けは我々庶民に来るってことでさ、今の時代も膨大な税金を使ってどでかいものを色々造ってるだろ。我々の監視が重要だって事じゃねーの?日本は「お上の国」だからな・・・・皆、関心ねーもんね。


チョット堅かったかな、駄洒落はねーよ。