組織として戦う―目的意識を持つことの是非― | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

今日も1日を終えました。
仕事の関係で、午前4時起きだったので非常に眠たいです。

しかし、こうして毎日、ブログを書くことで論理的思考力が身に付いてきたので、この思考力が仕事で活用出来た瞬間を味わうと眠気も吹っ飛びます。



さて、今日は「組織で戦う」って何だろうとずっと考えていました。
上長曰く、全く組織戦が出来ていないことが最近の悩みらしく、そうですかーと流し聞きしていたのですが、よくよく考えると「組織戦」とはどういう戦い方法なのかを突き詰めると、自分の中に答えが出来ていなかったので、真剣になって考える羽目になった訳です。

組織戦の対極にあるものが個人戦だったとしたら、それは人数が問題か、頭数が問題か、とにかく数が重要な鍵を握るだろう、という点は推測されます。

でも、100人の組織に1人が挑んで100人が勝つのは当然として、100万人の組織に20人の組織が挑んで勝利をおさめるケースはよく聞きます。



戦い方の問題でしょうか。

正攻法に対して奇襲。たとえば織田信長の桶狭間の戦いは奇襲戦として有名です。古くは源平の鵯越の戦いなんかも有名ですね。


しかし組織戦は常に勝利が目標ですから、戦い方が軸になることは無いと思います。だって勝てば良いわけですから、対立軸がなかなか生まれにくい。相違点はいっぱい生まれそうですが。
恐らく、組織戦とはシステム化(マニュアル化)されているか、或いは自由か、この2極があるのではないか?と推測してみました。

すなわち一時期の松下電器のようなマニュアル化された組織。
一方で、ソニー或いはホンダのような自由な組織。



つまり組織戦とは、100万人がシステム化され、マニュアル化され、効率化された、いわばオウトメーションの戦いを行うマニュアル型組織形態、或いは各員それぞれの持ち味を最大限に発揮し、スペシャリスト・ゼネラリストを排出出来る自由形組織形態、これらが戦うことを組織戦と言うのかな、と思いました。


うちの会社は50人前後の社員で成るのですが、50人がただ集まって仕事をするだけでは集団です。
しかし、目的意識をもって、かつ意図して50人を扇動して仕事をするなら、50人は組織となります。



この目的意識、日本語に言い換えれば「錦の御旗」だと思っています。

そう考えれば、あの大東亜戦争だって「組織として戦った」日本軍とアメリカ軍の戦いだったはずです。
そこに何かしらの教訓はあると思うのですが、組織としての大東亜戦争の名著を聞かないというのは、これ如何に。


SAPIOで小林よしのり氏が指摘していますが、日本は天皇を神に祀り上げ、それを「錦の御旗」として戦いましたが一方で、アメリカは「自由とキリスト教と民主主義」を錦の御旗にして戦っています。

そして、日本は負け、アメリカは勝ったに過ぎません。
もし日本が勝てば、恐らく天皇は本当に「神」となり、今は2009年ではなく平成21年と呼ばれた筈です。



それほどまでに、集団を団結し組織に染め上げる「目的意識」は大切ですし、その下で人は、企業は戦います。
もしかしたら上長が言いたかったことは、「戦うのはいいけど、錦の御旗が無い」という嘆きだったかもしれない、と今、このブログを書きながら思いました。