十人十色というように、人には、みんなそれぞれの考え方や信条などがある。それは家族や友人など、育った環境によって影響されながら、現在の自分を形成している。その結果、幸いにも間違った道に進まずに済んだ人もいれば、過ちを犯して、泥沼に落ちていく人もいる。
そうしたことは、当たり前のことだが、日本国内に限らず世界中のどこでもある話だ。つまり、簡単に言ってしまえば、世界中で「良心的な人」もいれば「悪い奴ら」もいるということだ。
何を言いたいかといえば、国や民族という単位で物事を考えては、必ず間違った方向に向かってしまうということだ。ウクライナであれ、ロシアであれ、中国であれ、米国であれ、「良心的な人」もいれば「悪い奴ら」もいる。しかし、にもかかわらず多くの人は「中国」問題になれば、「中国人は・・・」とか、ロシアが問題になれば、「ロシア人は・・・」のように、国や民族を非難してしまう傾向がある。
なぜ、そうなってしまうのか、実は言葉巧みにそういう方向に向けたがっている人たちが、少なからず発言力を持って存在しているからだ。では、なぜ、そういう方向に向けたいのか、それは、国民同士が仲良くなっては戦争が出来ないからだ。つまり、戦争や紛争によって儲かる人たちが、その後ろにいるからに他ならない。
過去の戦争を見て、そこから何を学ぶのかといえば、少なくともいつも良心的な人が多数犠牲になってしまうということだ。悪い奴らは狡猾だ。悪い奴ら同士のネットワークを持ち、資金力に物を言わせ「良心的な人」のふりをしながら、良心的な人たちに食い込み、分断を図っていく。
もういい加減気が付かなければならない。政治家もマスコミも企業のトップも、実はその多くが「悪い奴ら」だったのだ、ということを。