高校の修学旅行は韓国でした。
その頃はまだ、
韓国は一番近くて遠い国。
と言われていました。
以前にもフェイスブックに少し書いたことがあります。
修学旅行はとても楽しい思い出になってます。
韓国の高校生との初めての異文化コミュニケーション。
文法は同じなので単語は英語で文法そのままで会話したり、
どうしてもお互いに英単語が出てこないときは、
漢字で筆談。
で、
一緒にお弁当タイム。
焼き魚のお弁当だったんだけど、
内臓とかの処理してなくて、
対角線上に一匹ぼろんって横たわってた魚。
全然、食べることができなかった。
これって魚の食べ方の文化の違いですよね。
で、
私のお相手の女子は、
you eat.you eat.私に言ってきてた。
そのあとに、
購買的なところでその子は私にアイス買ってくれた。
オレンジの味の棒がついてるやつ。
おいしかった。
韓国のアイスっておいしいんだな。と思って、
そのあとも行く先でアイス買い食いしたな。
お別れのときは全力で泣いてくれた。
私のお相手も含め韓国の高校生はみんな泣いてた。
正直、驚いた。
2時間そこそこしか一緒にいなかったのに。
感情を思いきり表現する民族なんだな。
と思った。
向こうにしてみれば、
「何、あいつらぽかんとしてんだ。もう2度と会えないのに。」
と思われたかもしれない。
実際にその後、1度も会ってない。
日本に帰ってから彼女は1度手紙をくれた。
元気かな。と思う。
お父さんがニュースキャスターだって言ってた。
韓国についてからの移動はすべて観光バスだった。
バスの車内から見る外の街並みは少しカラフルなだけで、
日本とあまり変わらなかった。
個人的な見た感じの印象だけど結構事故ってた。
で、ぶつかった車の近くで、
必ず数人が言い争っているように見えた。
公園では数人のご老人がいた。
日本のご老人と何ら変わらない目鼻立ちだ。
1点だけ違うのはシャツをインしてない。
これは韓国で見かけたどのご老人もそうだった。
時代的にも年頃的にも、
その世代に「シャツをしまいなさい。だらしない。」
と言われることが多かったので、
これも文化の違いだと思った。
ひとりのおじいさんが話しかけてきた。
日本語で話しかけてきた。
言葉の響きが懐かしくて。思わず日本語が出てきてしまったそうだ。
でも、
「普段は絶対に話さないんだよ。
たぶんこれくらいの年の人はみんな日本語話せるよ。
でも、話さないんだ。」と言っていた。
板門店の近くまで行った。
韓国語の放送がずっと流れていた。
大きな銃を持った人達が歩いていた。
私達はまたそこでのんきにアイスを食べてた。
バスガイドの人にこの放送はなんて言っているのか聞いてみた。
「今日は豚肉を食べた。」と言っていたらしい。
私達は豊かな暮らしをしている。というアピールだそうだ。
同じ民族なのに北と南に別れたふたつの国。
ここでは私達は第三者だった。
山の上の何かに行くのに、
乗るはずだったバスが来なかった。
バスガイドさんが激しくバス停のおじさんと言い争っているように見えた。
バスガイドさんは理由を説明してくれたけど、
高校生ながら日本人を乗せたくないということを感じた。
結局、私達は女子だからという理由でバスに乗った。
別行動だった男子は歩いて登ったらしい。
日本に帰ってから当時の彼が話してくれた。
韓国人に嫁いだ日本人の未亡人が暮らす施設に行った。
なんというか、
そこの空気感は忘れられない。
日本の歌をみんなで歌って、
おばあさん達は泣いていた。
私たちの中にも泣いてる人がいた。
韓国のことを学んでから修学旅行に行ったけど、
過去にあったすべてのことを解って行ったわけではない。
このおばあさん達は、
きっと色んな事情があってその施設に住んでいただろうし、
たぶん私の想像も追い付かないような壮絶な体験をされてきたんだろうと思う。
日にちが経つにつれて、
何かあるんだな。と感じた。
団体になると物事がうまく進まないような事が多いと感じた。
対個人では、
話せばみんな笑顔だし、
温かい人々だと感じた。
何かがこじれているということを、
高校生ながらに感じた。
今はいい体験をしたと感じてます。
つらつらと長く書きましたが、
何を言いたいかっていうと、
戦争はしちゃいけない。
最後までお読みいただいて、
ありがとうございます。
その頃はまだ、
韓国は一番近くて遠い国。
と言われていました。
以前にもフェイスブックに少し書いたことがあります。
修学旅行はとても楽しい思い出になってます。
韓国の高校生との初めての異文化コミュニケーション。
文法は同じなので単語は英語で文法そのままで会話したり、
どうしてもお互いに英単語が出てこないときは、
漢字で筆談。
で、
一緒にお弁当タイム。
焼き魚のお弁当だったんだけど、
内臓とかの処理してなくて、
対角線上に一匹ぼろんって横たわってた魚。
全然、食べることができなかった。
これって魚の食べ方の文化の違いですよね。
で、
私のお相手の女子は、
you eat.you eat.私に言ってきてた。
そのあとに、
購買的なところでその子は私にアイス買ってくれた。
オレンジの味の棒がついてるやつ。
おいしかった。
韓国のアイスっておいしいんだな。と思って、
そのあとも行く先でアイス買い食いしたな。
お別れのときは全力で泣いてくれた。
私のお相手も含め韓国の高校生はみんな泣いてた。
正直、驚いた。
2時間そこそこしか一緒にいなかったのに。
感情を思いきり表現する民族なんだな。
と思った。
向こうにしてみれば、
「何、あいつらぽかんとしてんだ。もう2度と会えないのに。」
と思われたかもしれない。
実際にその後、1度も会ってない。
日本に帰ってから彼女は1度手紙をくれた。
元気かな。と思う。
お父さんがニュースキャスターだって言ってた。
韓国についてからの移動はすべて観光バスだった。
バスの車内から見る外の街並みは少しカラフルなだけで、
日本とあまり変わらなかった。
個人的な見た感じの印象だけど結構事故ってた。
で、ぶつかった車の近くで、
必ず数人が言い争っているように見えた。
公園では数人のご老人がいた。
日本のご老人と何ら変わらない目鼻立ちだ。
1点だけ違うのはシャツをインしてない。
これは韓国で見かけたどのご老人もそうだった。
時代的にも年頃的にも、
その世代に「シャツをしまいなさい。だらしない。」
と言われることが多かったので、
これも文化の違いだと思った。
ひとりのおじいさんが話しかけてきた。
日本語で話しかけてきた。
言葉の響きが懐かしくて。思わず日本語が出てきてしまったそうだ。
でも、
「普段は絶対に話さないんだよ。
たぶんこれくらいの年の人はみんな日本語話せるよ。
でも、話さないんだ。」と言っていた。
板門店の近くまで行った。
韓国語の放送がずっと流れていた。
大きな銃を持った人達が歩いていた。
私達はまたそこでのんきにアイスを食べてた。
バスガイドの人にこの放送はなんて言っているのか聞いてみた。
「今日は豚肉を食べた。」と言っていたらしい。
私達は豊かな暮らしをしている。というアピールだそうだ。
同じ民族なのに北と南に別れたふたつの国。
ここでは私達は第三者だった。
山の上の何かに行くのに、
乗るはずだったバスが来なかった。
バスガイドさんが激しくバス停のおじさんと言い争っているように見えた。
バスガイドさんは理由を説明してくれたけど、
高校生ながら日本人を乗せたくないということを感じた。
結局、私達は女子だからという理由でバスに乗った。
別行動だった男子は歩いて登ったらしい。
日本に帰ってから当時の彼が話してくれた。
韓国人に嫁いだ日本人の未亡人が暮らす施設に行った。
なんというか、
そこの空気感は忘れられない。
日本の歌をみんなで歌って、
おばあさん達は泣いていた。
私たちの中にも泣いてる人がいた。
韓国のことを学んでから修学旅行に行ったけど、
過去にあったすべてのことを解って行ったわけではない。
このおばあさん達は、
きっと色んな事情があってその施設に住んでいただろうし、
たぶん私の想像も追い付かないような壮絶な体験をされてきたんだろうと思う。
日にちが経つにつれて、
何かあるんだな。と感じた。
団体になると物事がうまく進まないような事が多いと感じた。
対個人では、
話せばみんな笑顔だし、
温かい人々だと感じた。
何かがこじれているということを、
高校生ながらに感じた。
今はいい体験をしたと感じてます。
つらつらと長く書きましたが、
何を言いたいかっていうと、
戦争はしちゃいけない。
最後までお読みいただいて、
ありがとうございます。