こんにちは。奥田です。
今日もさぶちゃん、しんさんは元気に暮らしています。
もちろん僕も元気です。
今日は、昨日思いついたというか整理した、人と身近な動物が共生していくための4つの取り組みというのをかきます。
久々の小難しい系です。
まず、人と身近な動物が共生していくとは?ってことなんですが、これはいろんな意味があると思うんですが、ここでは『人が動物と共に生活していく上で果たすべき社会的責任を果たすことと、適当な社会的許容が果たされていること』という意味です。
社会的責任とは、社会と家庭と動物に対する責任のことです。
社会的許容とは、動物と動物と暮らす人の存在を社会が受け入れるということです。
社会的許容がなく、動物と一緒に暮らす事が一切認められないとしたら、動物と暮らしたい人にとっては大変な事です。許容してもらうために一定の責任を果たす義務が発生してきます。
この社会的責任と社会的許容がきちんと保たれている状態が、人と身近な動物が共生している状態といえましょう。
この実現のためには、4つの取り組みが必要と考えました。
①飼い主の社会的責任の自覚、業者の社会的責任の自覚、市民の社会的許容の意識、これらが当たり前のものとして受け入れられる文化作り
②飼い主が直接的な責任(自分が動物と暮らす上で地域にかける負荷=動物・家庭・地域への負荷に対する責任)を果たすための行為(しつけやノーリードしないなど)、及び行為をするためのサポート
③飼い主の間接的な責任(自分が動物と暮らす上で経済行為がかける負荷=幼齢個体の販売や殺処分に対する責任)及び、業者の間接的な責任(同上)を果たすための事業(保護活動など)、及び事業を遂行するためのサポート
④上記3つの取り組みが一般化されるための制度整備
ということになるかと思います。
飼い主が責任を果たすこと、
業者が責任を果たすこと、
市民が理解を深めること、
平たく言えばこういうことになるのですが、それぞれ責任って何ですか?理解って何ですか?ってことになると思います。
責任を果たすまでには、2つの段階が必要で、責任の自覚と、責任の達成です。
自覚していなければ行為は発生しませんし、行為を行わなければ責任を達成することはできません。
そして、大きな溝がある部分が、この責任の自覚だと思います。
飼い主や業者には、動物と暮らすという活動の中で発生してくる社会的責任があると思われますが、その内容を自覚している人は少ないでしょう。
僕の考える飼い主や業者の社会的責任は次の3者に向けられたものです。
①地域・他人
②家庭
③動物
多くの方は、社会的責任というと①を意識されると思います。
たとえば、ウンコを放置しないとか、鳴き声で騒音にならないようにするとかそういうことです。
しかし、②、③も社会的な責任であるのではないかと僕は考えています。
②は、自分と家庭を平和に健康に保つ責任です。異種の動物と暮らす以上、様々な問題が発生します。家庭の活動が社会の基盤となっている以上、どんな家庭もいくらでも荒れていていいわけではなく、平和と健康を保つ責任はあると思いますし、責任などと言わずとも、自然に感じるものです。
たとえば、鳴き声がうるさくてなられないと感じれば、それを是正するようにすると思います。
③は、動物の福祉状態に対する責任です。これは非常に意識されにくい責任と感じています。
たとえば、動物に新鮮なご飯と水を上げることであったり、恐怖からの回避であったりします。ここら辺はわかりやすいのですが、恐怖からの回避といった場合には犬の正常な心理的発育を保証することも必要です。
『犬で3ヶ月のとき、初めて散歩に連れて行ったら、とても怖がったので、かわいそうでその後散歩には連れて行かず、1歳になった時に、手をやたら舐めるので病院にきました。』
といった場合、飼い主としては自分の知り限りの知識で、犬に優しく接してきたつもりであっても、実際は正常な発達の機会を逃し、慢性的なストレスを蓄積し、常同行動を発生してしまったということになります。
これは、知識として、犬の福祉状態を守る責任を果たすだけのものをそもそも持ち合わせていなかったわけで、責任のはたしようがなかったというケースです。すなわち、責任を意識する部分、その責任を果たすために何が必要か学ぶ機会というところから作っていかなければいけないということです。
ややこしくなってきました。
ちょっとまとめます。
【必要な理解】
社会的許容
社会的責任
直接的な責任(自分が動物と暮らす上での責任)
間接的な責任(動物に関わる経済活動により発生する責任)
【必要な行為】
市民、飼い主、業者の理解の醸成
実際の責任を果たす事業
これらの仕組み化
ということになろうかと思います。
んんんんんんんん・・・
で、これらの変化を生むために何ができるかってことになっていくわけですね~