USBにデータのバックアップ取ってるんですけど、時間がかかっちゃってねー。


その間にブログを書くよ。



人の『快』『不快』って、生まれた時点で相当決まってるように思う。



人の幸せが、ジェームスアレンやスティーブンコビー博士の説く原則にのっとって、たくさんの人が共通して感じられるなら、多分それは個人個人が変化して手に入れた幸せではなくて、人類にとっての共通した幸せだと思う。



役に立つ幸せや、安心の幸せ、愛の幸せは、ほとんど誰もが共通してるでしょ。



ってことは、人間の幸せのほとんどの部分は、遺伝でできてると言ってもいいように思うんです。



人間っているのは、人類にとっては細胞みたいなもんだと思う。



体の仲の細胞は、この人間の体を維持し、ひとつの方向性に向かうようにそれぞれが協調して動いてる。



それを協調させる仕組みがホメオスタシスって言われるものだよね。



ホメオスタシスは、一見自分勝手に動きそうな各細胞に指針を与えて、人間という一個体を統一する方向性を示していると思う。



でもそれは、ひとつの細胞がつかさどっているものではないんだよね。



この体の中のホメオスタシスって機能は、人類にとっての幸せの機能に似てる気がする。



人間の大体の幸せの方向性が一致しているのは、ホメオスタシスとして、人類という生命の統一性を維持する役割があるんじゃないかと思う。



自分が究極幸せになるように生きていくことが、人類の統一性を作り出す。人間の体と同じように。



自分の中に幸せの指針があるって思ってるかもしれないけど、きっとそれはもっと大きな流れの中の指針に過ぎないのかもしれないと思う。