どうも。たみです。



今回のブログは、『譲渡したい』ってことの解釈について、自分の考えを書きたいと思います。



こちらのコメントの返答でもあるので、引用させていただきます。

http://ameblo.jp/it-ai/entry-10526984452.html#c10729155648



さて、『譲渡したい』って言うのはどういうことなのか?という疑問について、僕は以下のように解釈しました。



正直、十分理解できているか分かりませんが、話を進める前提として、こんなかんじで考えています。





【『譲渡したい』ってどういう状況なの?という疑問に対する僕なりの解釈】



譲渡と終生飼育を比較したら、終生飼育のほうが選択肢として比べ物にならないほどに適切な選択肢であるにもかかわらず、譲渡を勧めてしまうのはいかがなものか?


例えば、引越しにより飼えなくなったという相談に対し、ペット飼育可能な物件を探すという選択肢を選ぶことが出来る状況で、それでも『譲渡したい』という申し出が合った場合に、その対処はどうするのか?


それでも譲渡を勧めるのか?


経済状況や家族の状況、様々な環境の変化がある中で、継続して飼っていくのがこれまでに比べて難しい状況に追い込まれたとしても、終生飼育の可能性は常にゼロではない。譲渡を勧めるということは、そのゼロではない可能性の芽を摘んでしまうのではないか?


保健所に連れて行く以外の選択肢は、必ずしも『譲渡という選択肢』だけではなく、数限りない可能性がある。

その、保健所でもなく、譲渡でもない選択肢を考慮したうえでの、『譲渡したい』という状況なのか?


『譲渡したい』という人自体が飼い主責任を果たせていない。責任を果たせない飼い主への処置はどうするのか?


そんな中で、ふぁみりあが認め、協力する、適切な『譲渡したい』という申し出はどんな状況で生まれるのか





このように解釈しました。

以下、こういうイメージの解釈を前提とします。




まとめると、ポイントとしては、以下の3点です。



1.手放しに譲渡を勧めてもいいものか

   (相談が合った場合に、他の選択肢を考慮に入れているのか)


2.『譲渡したい』という飼い主への対処


3.ふぁみりあが認める、『譲渡したい』という申し出の状況

   (どこまで対処するのか・切り捨てるのか)




1つずついきたいと思います。




1.手放しに譲渡を勧めてもいいものか

   (相談が合った場合に、他の選択肢を考慮に入れているのか)



結論から言いますと、譲渡することそのものをを積極的に勧めてはいません。

ただし、広報上、そのように捉えられる表現が出てきてしまっているのも事実です。


ふぁみりあが勧めれいるのは、譲渡という選択肢をもつことです。

譲渡というシステムが存在することを世の中に広めています。


万が一飼えなくなった状態のとき、『保健所しかないよね』となるか、『譲渡の可能性もある』となるか、その違いは大きいと思います。


この場合は、『保健所』と『譲渡』二者択一ですが、保健所でも相談に来た飼い主さんには終生飼育を進めているように、ふぁみりあでも終生飼育を勧めています。


といいましても、2010年4月以降では、野良猫やその仔猫、代理投稿での子犬の投稿、ボランティアさんの投稿が多くて、一般の飼い主さんが『飼えなくなったから載せてほしい』という相談は、まだ1件しかありません。


その1件に関しても、既にぎりぎりの状況で、その状況で飼いつづけることは獣医師として適当でないと判断したものです。


なので、例示のような『がんばればどうにかなるでしょ』っていう状況にはまだであっていません。


そして、必ず今後そういう状況に出会うと思うのですが、そうなったときは、がんばって終生飼育することを強く勧めることを決めています。


一緒に飼い続ける選択が出来るように、誠実に考え、相談に乗っていこうと考えています。





2.『譲渡したい』という飼い主への対処



上とかぶりますが、譲渡したいという飼い主への対処に関しても、これまでの事例は1件しかありません。


この飼い主の責任感への対処は、非常に難しい問題だと思っています。


なぜなら、相手によって、きっと対処が違うだろうと考えられるからです。


例えば、本当に不誠実で、取り付くしまもないような人には、『もう2度と飼わないでください』と伝えることも出来ると思います。

ですが、そういう人に、そう伝えたとして、何か変えることが出来るとは思えないのです。


逆に確かに、状況だけ見れば、飼えなくなったという状況だけど、誠実に考えられている方もいらっしゃると思います。

例えば、こどもがひどいアレルギーだとか、職を失ったりしてで収入が減って養っていけず、このまま自分が無理して飼うよりも、誰かにもらってもらった方が幸せだろうと考え、譲渡を選んだだとか、そういう場合は『もう2度と飼わないでください』のようなことはいえないと思っています。



大切なのは、ふぁみりあは、犬猫を譲渡するだけでなく、その犬猫に関わった人間の幸せを増やしてくことが目的にあるということです。



だから、『譲渡したい』という飼い主さんに対しては、その人の人となりを自分なりに判断して、状況に応じて、自分の良心に従い、誠実に対処していくしかないと思っています。


その良心の部分を、今出来る精一杯の表現で行っているのが、今回のブログです。


だから、今現在明文化できない部分が多くあって、将来的に、明文化していくために、今勉強させてもらっているという状況です。


その明文化できない部分は、自分の良心に従って、判断するしかないと思っています。





3.ふぁみりあが認める、『譲渡したい』という申し出の状況

   (どこまで対処するのか・切り捨てるのか)


1.2.で述べた内容とかぶりになってしまいますが、『譲渡したい』という申し出には、まず相談で応えます。


相談の中で、終生飼育が適当だと判断する場合は、可能な限りそちらに誘導します。


結局、この『終生飼育が適当かどうか』という部分が、その状況に応じて、自分の良心で判断するしかない部分です。




対処の例示として、極論ですが、こんなケースを想定しましょう。


例えば、『もう飽きたから譲渡したい』という申し出に対しては、明らかに『はい、そうですか』と受けられないと考えています。


かといって、いきなり怒っても仕方ないので、ふぁみりあに載せるということをインセンティブに、直接会って、話を聞き、諭せる部分は諭すということをします。


諭すことで、飼い主が変わるならいいですが、変えるのは至難の技です。


その人に影響する努力はします。しかし、そこに注力するくらいなら、もっとふぁみりあを必要としている、誠実な方をお助けしたいと考えてしまうのも事実です。


諭すことが不可能なら、『譲渡する方が、保健所よりはまし』という判断の元、ふぁみりあを介して里親を募集することになると思います。




『譲渡したい』という申し出に対し、その飼い主さんが終生飼育するための適切な提案が出来ない状況であるならば、今僕が持つ選択肢は、『保健所』か『譲渡』しかありません。


どんな状況であれ、僕の考えうる限り、『譲渡』がもっとも適切だと判断すれば、ふぁみりあに載せますし、譲渡の仲介もします。


その『譲渡がもっとも適切かどうか』の判断は、明文化できませんが、自分の良心に従い、1つ1つ決断していきたいと考えています。




【まとめ】



ふぁみりあに載せ、譲渡仲介するかどうかの判断は、全て自分が行っています。


そして、今まで断ったケースがないのも事実です。


これは、もしかしたら幸運なことかもしれません。


そして、今後も自分1人でこの判断を行う限りは、その判断は自分の良心に従うしかないものと思っています。


今、まだはじめたばかりですので、こういう場合はOK、こういう場合はNGというような、端的な表し方は、非常に危険だと思っています。


経験やデータが蓄積された段階で、より良くしていくために、明文化していくことも視野に入れ、ふぁみりあの事業を推進していきたいと考えています。