ドナーの入院は、お産の入院と重なる部分が、多々あります。
お産は、『新しい命を産み出す』
ドナーは、『命を救う』
…世界中で、今日も沢山の命が、誕生しているけれども、
今、目の前で、オギャーと泣いている赤子は、
自分にしか産み出せなかった、唯一無二の存在。
…臓器移植手術も、
毎日、世界のどこかで、多数実施されているけれども、
自分の傍らで、死に繋がる苦行を続け、
辛い日々を消化(?)している夫を救えるのは、私しかいない。
【案ずるより産むがやすし】という、お産にまつわる諺も、
正に、「ドナーに向けられた諺」のようにも思えます。
曰く…出来るかどうか心配しているよりも、
思い切って実行してみると、意外にた易く出来るものだ…
〈お産〉も、〈生体臓器移植〉も、共に、
「自分以外の他者の生死」に、直接関わる事が出来る。
欲にまみれた人間(私)が、
神々しい気持ち、清々しい気持ちになれる…
一生の中で、一度体験できるかどうかの、
極めて貴重な体験です。
極めて貴重な体験であるが故に、
〈早産〉や〈難産〉が不安だったり、
〈ドナーになって体調が悪くならないか〉を案じたり、
ひとり、ひとりの受け止め方は、大きく異なるでしょう。
…正解などありません。…
私の場合は、
お産で四度、そして、肝移植のドナーとして一度、
更に、明後日には、通算六度目の超レアな体験が出来る…
「(他人は、『壮絶な体験』と思うかもしれないけれど)
うーん、私って、何て運の良い人間!!」
そう思うと、気分がますます、ポジティブになります。
(このオメデタイ思考は、
まさに、ドナーにうってつけ!?)
宇和島の病院に、無事到着できた安心感もあり、
その夜は、スヤスヤと、よく眠れました。