ここで、「修復腎移植の存在とその内実」を知った時の、
私の感想を、記しておきます。
まずは、
「なるほどなあ!リサイクルならぬリユースの発想で、
(ドナーもいないし、体力も落ちて苦しんでいる)腎不全の患者に、
何とか生きる希望を持たせようという事なんだ。
すごいアイデア!」と、
斬新さに、驚くやら感心するやら…
そして、この発想は、
医療現場で、真摯に患者と向き合ってこないと、
出てこない「起死回生の妙案」だとも感じました。
次に感心したのは、
「生体腎移植と異なり、ドナーが不要だから、
『レシピエントの、ドナーに対する自責の念』や、
『生体ドナーの心身の長期的なケア』、
或は、
『ドナーに関する医療費負担』が、無くて済む」という点です。
つまり、
「生体腎移植のマイナス面を持っていない」という
利点がある、という事です。
しかも、
『修復腎を移植されたレシピエントにおける
病気の再発は、(限りなく高い確率で)無い』
という、現実の積み重ねが示されると、
世界でも高く評価され、
さっそく、「新たな第3の生きる道」として
取り入れられている、というのですから驚きです。
これほど世界で取り入れられている素晴らしい手法なのに、
日本では、やっと、2017年10月に、
「修復腎移植が先進医療として認められる」
ようになったという遅れぶりです。
「失われし10年」という言葉は、
日本経済の低迷期を現すだけでなく、
厚生労働省が2007年に出した、
『病腎移植原則禁止」通達によって、
突然、、
修復腎移植を希望していた多くの透析患者の「夢」を奪い、
見殺しにしてきた、「患者置き去り期」とも合致します。