なんで「清貧」(せいひん)という言葉があるのだろう・・・

 

「清貧」というのは、

貧乏だけど、

心が清らかで行ないが潔白であること。

余分を求めず、貧乏に安んじていること。

 

という意味ですが。

 

個人的に、

この言葉には、

昔から、なぁんか違和感があるんですよね(*_*;

 

金樫は、

若いうちに貧乏というのを経験しておくことは、

人生の経験としての

積む、知る、学ぶという面においては、

いいことだと思っています。

 

だけど、「貧乏」のソレ自体をいいことだとは、

けっして思ってはいません。

 

むしろ、貧乏は悪だとすら思うから。

 

だから、清貧というのは、

貧乏をいいものというか、

なんか美化しようと誤魔化しの言葉でしかないと感じるんですよ。

 

この誤魔化しによって、

なんとか貧乏を脱出しようと考える人の

野心とか向上していこうという意志を否定するというか、

人生に挑む力を奪うような感じすらもします^^;

 

意味を分解して、屁理屈をこねるとだなぁ・・・

 

「心が清らかで行ないが潔白であること。」は

人として大事です。

 

「余分を求めず・・・」つまり、足るを知るっていうことでは、

それも大事なこと。

 

でも、

「貧乏に安んじている」って、なんか人生諦めモードな感じだし、

 

行いが潔白!?

 

そもそも貧乏が原因で、

時に人様にも迷惑をかけることもあったら、

悪い事なんですよね。

 

そんな悪いことに甘んじてるとか、意味がわからない^^;

 

たとえば、

お金がなくて、約束の支払いができずに

家の電気やガスが停められることがあったら、

こんなの、電力会社とかに迷惑かけてるわけでしょう。

 

家賃やクレジットカードの支払が滞納してたら、

大家さん、カード会社に迷惑なわけですよ。

 

わたしが高校の時に、

学費が滞納してて

毎回、担任の先生から呼び出されてたりなんかして、

心情的にも当時ホントに迷惑かけてたと思います。

 

支払いの約束が、お金がないという理由から、

何か月も払うべきお金を払っていない、

払えないという事態に理由があるにせよ、

もう他人に大迷惑をかけてるってことでしょ。

 

「支払いたいのは山々だけど、

お金がないからごめんなさい」では済まされることではないわけ。

 

時に、許してもらえたり、

待ってもらうなんてのは、

相手に甘え、迷惑をかけたうえで成り立ってる。

 

これが悪くないと、はたして本当に言えるか?

 

たとえ人が同情したとしても、

やっぱり悪いことは悪いし、

恥ずべきことだと思うんです。

 

中には

貧乏はなにも恥ずかしいことではないと言う人もいますが、

それ、本心かよ!?

と、問いたいです(苦笑)

 

貧しくても、清らかでとかいうことっていうのは、

「貧しさ」「清らか」というソレ自体が

もはや成り立たない言葉だと思います。

 

貧乏でお金がなく、

約束を守れない。

支払う義務を果たすことができないこと

は人に迷惑をかける悪いこと。

そんなのと、清らかとは交わる事はない。

 

それを、無理矢理に混ぜて、

貧乏を美しいものとするのは、

ただの、まやかしです。

 

現在は、

なにも超絶貧乏とまではいかなくとも、

やはり経済的な苦しさから

なかなか抜け出せていない方も多いです。

 

また、現役世代(20歳から60歳ぐらい)の間に、

いつか働けなくなった時などを見据えて、

老後の経済対策をしていなければ、

間違いなく今の時代の人は、老後に貧乏になってしまい、

身内だけでなく、

いずれ、他人や社会の迷惑になる可能性をはらんでいるだろうね・・・

 

お金がないのは、首がないのと一緒だ。

 

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