2011年当時のしらす

もう10年になるのか、、、


あの時

わたしは

東京のオフィスにいた


ビルの最上階のオフィスは

ゆっくり不自然に揺れた

隣の席の後輩は椅子ごと

隣の課まで滑っていった


揺れが収まり

社内を歩いていると

上役達が応接室でTVを見ていた


宮城県気仙沼が映っていた


見たこともない

荒れ狂う海が

何もかもを呑み込む様子が

画面いっぱいに映し出されていた


あっ!!


私は自分のデスクに急いで戻った


あの気仙沼には

私が教えたスタッフが

働いている店舗があった


店舗は小高い丘の上にあった

きっと大丈夫だ


全国の店舗を統括している部署で

新人研修講師をしていた

私の部署は

社内で一番情報が早く入ってくる

私は急いでデスクに戻り

東北担当者に確認をしようと探したが

デスクにはいなかった


東北担当者は

宮城県からの単身赴任者で

震源地が東北だと知って

社用車で自宅に向かったと聞いた


東北の情報は全く入って来なかった


固定電話に電話しても

携帯電話に電話しても

不通だった


夕方

私は帰宅難民者となった


首都圏の電車は軒並み運休となり

帰れなくなってしまったのだ


帰宅難民者は

会社に宿泊するよう通達されたが

私は一人暮らしをしている

後輩の講師の家に

お邪魔することになった


電車で12分の距離だったが

ごった返す帰宅難民者の渋滞で

90分はかかった


コンビニは

食べ物も飲み物もすでに売り切れで

棚がスッカラカンだった


空腹もやむなしと思ったが

帰宅途中にやよい軒があり

定食を食べることが出来た



東北は心配だったが

その時の私は

家で飼っているワンコのこと

家族のこと

明日帰宅出来るのか

明日の自分の事で

頭がいっぱいだった