(いすけ屋)

 

 インターネットをぐぐっていたら、なんと懐かしい写真が見つかった。私が3~9歳の頃だから69~63年前のことだけど、当時は三重県尾鷲市(当時は尾鷲町?)に住んでいた。母の実家が隣の木本町(今の熊野市)だったので、正月がくるたび、実家に帰っていた。ところが、国鉄の鉄道はまだ開通していなかったので、燕のマークの国鉄バスが唯一の交通手段だった。そこには「矢ノ川峠」という難所があり、でこぼこ道なので、年に一回しか自動車に乗らない家族は全員車酔いして大変だった思い出がつまっている。

 

 

矢の川峠の茶屋

 

茶屋のおばさん

 

 

 

おばさんとお別れ「また来てな」

 

矢の川隧道

 

峠から42号線を見る

 

危険な42号線

 

舗装されていないその他の隧道

 

当時の国鉄バス

 

雪が積もることもあった

 

途中で大型車と出くわすと交差できるところまでバック

 

尾鷲の街並み

 

新型バス

 

嫁入りにも使われた

 

紀勢本線が全通したのは1959年(昭和34年)7月15日

 

その昔は木炭車だった

 

このバスも記憶がある