【主張】橋下氏再選 やはり「大義」はなかった
2014.3.24 03:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140324/elc14032403370000-n1.htm


 この選挙は意味があったのだろうか。


 出直し大阪市長選で橋下徹氏が再選された。しかし、過去最低の投票率では、大義とした大阪都構想への「民意」が得られたとはいえない。


 大阪維新の会以外の政党が候補者を立てなかったことも大きいが、そもそも都構想に議会の賛同が得られないから“ちゃぶ台返し”のように辞職-出直し選挙に持ち込むのは乱暴すぎた。


 有権者の関心が低かっただけでなく、予算編成の大事な時期に市政を停滞させ、約6億円もの選挙経費を支出することに批判が大きかった。それが棄権、あるいは白票となって表れたと、橋下氏は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。


 “不戦敗”を選択した各党にも反省を求めたい。橋下氏の挑発に乗るのは得策ではないと考えたようだが、傍観はあまりに消極的だ。市議会は野党が多数である。むしろ市長不信任案を可決して都構想の是非を問うたなら、これほど市民不在の無意味な選挙にはならなかったのではないか。


 橋下氏は都構想の制度設計を話し合う法定協議会から反対派の府議を外し、議論を加速させる考えだが、府議会でも維新は4人を除名したため過半数を割っている。秋に住民投票を行い、来春には大阪都に移行するというスケジュールはほぼ不可能だろう。


 となると、再び辞職、統一地方選とダブルで再度出直し市長選に挑むことが予想される。が、強引な策は信を失うだけである。もはや一時の橋下ブームはない。


 出直し選挙で本人が再選されても任期は延びない。来年12月までの残りの任期は、市営地下鉄などの民営化、市政改革、財政再建など喫緊の課題に取り組み、ゴールとしての都構想を目指す方が、遠回りのようで近道になる。


 今回の市長選は「大阪の問題」だったが、選挙結果が国政に与える影響も小さくない。


 日本維新の会は憲法改正や慰安婦をめぐる河野談話見直しなどで独自の存在感を示してきた。ただ、当初から聞かれる旧太陽の党系と大阪維新の会系との東西の不協和音は強まっている。


 その接着剤の役割を果たしてきたのが、集票力を発揮する橋下氏の個人人気だった。求心力を保てるかは、党の行方、野党再編にもつながる。橋下氏にも、日本維新の会にも、正念場である。



いすけ屋



 今回の選挙は、「やはり」ではなく、もともと”大義”などなかった。「大阪都構想」って言っても、府と市の二重行政を無くすためだったら、今現在ダブってるところを止めればいいだけだし、あまりメリットは見えてこない。大風呂敷は広げたものの、中身は何も見えてこないから、議会も慎重になったのではないか。



 日本の国では、天皇陛下が住まわれるところが「都」である。二つは要らない。橋下さんは話は饒舌で、普通の政治家とは一味も二味も違うから、そこそこの支持はある。保守層からみても、一致するところはたくさんある。しかし、真の保守ではない。小泉さんと同じグループだ。東京裁判史観から抜け切れていない。彼は選挙でよく「皆さん、騙されないでください」と言うが、橋下氏本人に騙されてはいけない。



 ついでに、プロの悪口をちょっと・・・。


橋下徹という「或阿呆の一生」


適菜収 作家・哲学者:1975年山梨県生まれ。早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。著書に「ニーチェの警鐘」「日本をダメにしたB層の研究」「バカを治す」「日本を救うC層の研究」「箸の持ち方」他多数。


かつて芥川は書いた。「この原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれ給へ」。
今、大阪では一人の「或阿呆」が笑えない事態を引き起こしている。その悪行の数々とは。



 橋下徹を巡る一連の騒動を総括すれば、「だから言わんこっちゃない」のひとことに収まると思います。どうしてここまで来ないと気づかないんでしょうかね? 半分以上はメディアの責任でしょう。ワイドショーしか見ていない主婦ではあるまいし、新聞や雑誌にモノを書いている連中が橋下を野放しにしてきたわけです。それどころか、無責任に「将来の首相候補」などと持ち上げ、反日アナーキストという橋下の本質を隠蔽する工作に勤しんできた。


 もちろん、きちんと批判をした人もいたが、橋下の増長を押さえ込むことはできなかった。結局、橋下が終焉を迎えたのは、同盟国の軍隊に買春を勧めアメリカの心証を悪くしたことだったり、意味不明の出直し市長選というドツボに自ら突き進んでいったからです。つまり、われわれ日本人は自分たちの手で橋下を除去したのではない。これは極めて恥ずべきことではないか。依然としてわが国は橋下徹や菅直人のような独裁を唱える狂人が出現する危険性を抱えている。


 橋下は、大阪都構想の制度設計の話し合いが行き詰ったとして「民意を問う」ために出直し市長選を行うという。こんなことがまかりとおるのなら、最初から住民投票(民意)で決めればいい話。つまり、橋下徹のやっていることは政治と議会の否定である。たとえ橋下が再選されても、議会の構成が変わるわけではない。約六億円とされる選挙費用は完全に無駄。これについて橋下は〔民主主義で選挙のコストがかかるのは当たり前。(府と市の)二重行政にかかるコストの方が莫大だ」と説明していたが、むしろ、橋下の存在自体が現行の選挙制度における最大のコストなのだ。


 今や身内からも完全に阿呆扱い。日本維新の会共同代表の石原慎太郎は、「結果は同じ」「だんだんプレステージ(威信)が落ちてきた感じがする」「維新にとってマイナス」と突き放した。橋下は同党の共同代表であるにもかかわらず、党から公認を得ることができなかった。


 狂信的な支持者が多い大阪市でさえ、出直し市長選に反対しているのは五十六八‐‐セントである。


        ※


 芥川龍之介に『或阿呆の一生』という短編小説があります。芥川の自殺(一九二七年)後に見つかった原稿で、同年十月りの雑誌「改造」に掲載されました。
 この半自伝的小説の冒頭で芥川はこう記す。
 「どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれ給へ」
 ここは芥川に倣い、フラグメント(断章)形式で橋下の過去の悪行を振り返ってみたい。題して、橋下徹版『或阿呆の一生』。


 一 反日



 彼はその日も阿呆だった。テレビ番組に出演し、「日本国民と握手できるか分からない」と本音を吐いてしまったのだ。


 「日本をグレート・リセットする」
 「国は暴力団以上にえげつない」
 「日本の人口は六〇〇〇万人ぐらいでいい」
 「能や狂言が好きな人は変質者」


 こうした過去の発言からもわかるように、橋下は日本を深く憎んでいる。橋下はいつでも日本国民の敵にまわる人物である。彼の過去の発言・行動から見えてくるものはなにか? それは現代社会が抱える大きな闇だった。


 二 独裁



 彼はその日も阿呆だった。


 「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」
 「僕が直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」
 「(選挙は)ある種の白紙委任だ」


 議会は議論をする揚所である。民意を直接反映させるのが政治なら、議会は必要なくなる。要するに、橋下には政治に対する基本的な素養がない。橋下の手法は、ナチスのアドルフ・ヒトラーと酷似している。「大阪府は破産会社と同じ」とデマを流し、公務員をスケープゴートに仕立て上げた。「思想調査」を行ない、内部告発や密告を奨励する。府立和泉高の校長が国歌斉唱の際、ロパクかどうかチェックをしていた件について、橋下は「完璧なマネジメントだ」と述べべている。


 三 買春



 彼はその日も阿呆だった。沖縄の米軍司令官に対し、「もっと風俗業を活用してほしい」「性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は、日本にある」と発言。アメリカが激怒すると、「(風俗には)ダンスやパチンコまで含まれる。売買春ではない」と誤魔化し火に油を注いだ。


 また、「(銃弾が飛び交う中)命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる」と発言。


 これが問題になると、「僕は慰安婦が必要とは言っていない」と平気な顔をして嘘をついた。さらには「その時代の人たちが必要と思っていたと述べた」と論点をすり替え、「大誤報をやられた」「日本人の読解力不足が原因」とマスメディアや国民に責任転嫁した。薄汚い卑劣な人間である。


 四 歴史観



 彼はその日も阿呆だった。橋下はツイッターで「そもそも竹島問題も、李承晩ラインを引かれ、その後韓国が竹島に建造物を設置し、着実に実効支配を積み重ねたときにそれを阻止できなかったのも自民党」とつぶやいている。


 李承晩ラインが引かれた一九五二年には自民党は存在していない。「日本は歴史教育が足りない」「僕は近現代史の教育が不足していると言い続けている」と言う橋下だが、近現代史の教育の不足こそが、橋下を増長させてきたのだ。


 「竹島は(韓国と)共同管理すべき」
 「従軍慰安婦制度がなかったとは言いません」
 「日韓基木条約で法的にすべて解決しているということの方が慰安婦を傷つけている」
 「学術上(の定義が)定まっていなくても敗戦の結果として侵略だった」


 いずれも歴史観以前の問題である。


 五 文楽



 彼はその日も阿呆だった。文楽協会への補助金凍結を表明していた橋下は、近松門左衛門原作の『曾根崎心中』を鑑賞後、ラストシーンでグッとくるものがなかった」「演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」「演出を現代風にアレンジしろ」「人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」などと騒ぎ立てた。


 さらには、ツイッターで「自称インテリや役所は文楽やクラシックだけを最上のものとする。これは価値観の違いだけ。ストリップも芸術ですよ」と発言。


 橋下が怖れたのは、日本の伝統と日本人の美意識だった。橋下は無意識のうちに自分の敵を正確に見抜いたのだ。


 六 カジノ



 彼はその日も阿呆だった。橋下は府知事時代からカジノの誘致を進めてきた。ギャンブルは必唆悪なのかもしれない。


 しかし、「(大阪について)こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい」「小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」といった発言は常軌を逸している。全国の未来ある少年少女をギャンブル漬けにしてどうするつもりなのか?


 「日本を下品のどん底に突き落とす」という悪意しか感じることができない。


 七 著書



 彼はその日も阿呆だった。タレント時代に書いた本の内容が話題になったのだ。


 著書「まっとう勝負!」では「なんで『国民のために、お国のために』なんてケツの穴がかゆくなるようなことばかりいうんだ? 政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ」「自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ」と述べている。こうした国や国民に対する憎悪に近い意識は、政治家に転身したくらいで消えるものではない。


 また、『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』では、自らのタチの悪い交渉術を公開している。たとえば、相手に無理難題をふっかけた後に譲歩の条件を提示し、落としどころを中間地点にもっていく。こうした橋下の手法は北朝鮮外交に近い。


 「あいつはキチガイだ」と周囲に思わせることにより交渉を有利に進めるわけだ。


 八 嘘



 彼はその日も阿呆だった。橋下は「二万パーセント府知事選には出ない」と言いながら、出馬の準備を進めていた嘘つきである。


 維新の会が撒いたビラには「だまされないで下さい!」と書いてある。その下に「敬老バスはなくしません」と書いておきながら敬老パスの有料化を打ち出し、「大阪市は潰しません」と書いておきながら大阪都になれば大阪市は潰れるわけだ。嘘つきは橋下のはじまりである。


 九 矛盾



 彼はその日も阿呆だった。橋下は平気で矛盾することを言う。


 「今度の選挙は、政策選択選挙だ。候補者が誰かなんてことは重要じゃない」と言い、選挙が終われば「政治に政策は関係ない」と言う。


 「口で言ってきかないなら干を出さなきゃしょうがない」と体罰を正当化しておきながら、桜宮高校で休罰による自殺が発生すると、「いじめによる自殺よりはるかに重い」と言い出した。


 自分の子供を知事室でサッカー選手に会わせたことを「公私混同」と批判されると、「僕の子供は一般家庭の子供とは違う制限を受けている。個人ではなく、政治家のファミリーとして見てほしい」と述べ、その一方で、父親が暴力団員だったことや従兄弟が殺人犯であることを報じられると、「僕には子供がいる(だから配慮しろ)」と正反対のことを言う。


 「日本の電力はあり余っている」「産業での節電など全く要らない」と言いながら、いざ原発の再稼働が決定すると、「実際に停電になれば自家発電機のない病院などで人命リスクが生じるのが大阪の現状だ。再稼働で関西は助かった」と発言。任期途中に市長を辞職することはないと言っておきながら、市長を辞職した。つまりはデマゴーグである。


 十 コスプレ



 彼はその日も阿呆だった。橋下は自分を異常人格者と認めている。女房の妊娠中にコスプレ不倫を繰り返し、それがばれると「娘に制服を着ろと言えなくなった」と発言。この異常人格者をもてはやしてきたのがメディアだ。橋下は「メディアが相手にしなくなったら自分は終了」と述べている。つまり、メディアの腐敗が、橋下を増長させたのだ。


 テレビは、政治番組のエンタメ化を図り、面白ければなんでもいいという風潮をつくりあげた。視聴者は真っ当な議論よりも奇抜なものを求める。


 十一 選挙



 彼はその日も阿呆だった。台風18号により氾濫の恐れがあった大和川を視察した堺市の竹山市長に対し、「単なるパフォーマンス」と罵倒し、自身は「久しぶりのツイッターだな~。以前の感覚、忘れちゃった」などと書き込んで遊んでいた。フォロワーから「災害時に不適切」と指摘されると「嫌なら見るな」「極めて日本的だ」と逆ギレした。「日本的」という言葉をマイナスの意味で使うところにこの男の本質が表れている。


 堺市長選では維新の会の対立候補である竹山市長に対し、「オレオレ詐欺以来の堺壊れる詐欺」などと罵倒。竹山陣営の街宣車に向って「嘘八百号がきました」と叫んでいる。これは日本人の感覚ではない。選挙最終日の橋下の演説はヒトラーを彷佛とさせるものだった。


「コラア、共産党、ちょっとオレの前に出て来い!」


「エエッ、自民党民主党社民党共産党、お前らふざけんじゃねえぞ!」

 
十二 パワハラ


 彼はその日も阿呆だった。橋下が導入した公慕制度で就任した民間出身の校長や区長が次々と不祥事を起こしたのだ。


 児童の母親にセクハラをした公認校長に対して橋下は、「絶対に許されない失敗だとは思っていない」。女性職員にセクハラした東成区長については「もう一度チャンスを与えていただきたい」。


 身内には甘いが、気に入らない相手には法的根拠もなく厳罰を下す。


 市営地下鉄で男性助役がタバコを吸って火災報知機が作動し、電車が一分遅れたことがあったが、橋下は「(自分に対する)挑戦的な行為」「過去の事例と関係なく厳罰にする」と述べ、懲戒免職の検討を指示した。この程度の失態でクビにできるわけがないが、橋下は「司法で決着すればいい」「裁判になっても構わない」と騒ぎ立てた。結局、市長側の顧問弁護士が「免職は解雇権の乱用にあたる」と指摘し、助役は停職三ヵ月の処分を受けた。わが国は法治国家である。


 十三 詐欺



 彼はその日も阿呆だった。大阪都構想は基本的に詐欺である。当初、維新の会は「二重行政を解消して年間に四千億円ほどの財源を生み出すことは最低ラインだ」と言っていたが、大阪府と大阪市の試算では九百七十六億円だった。この時点で四分の一以下だが、この数字も粉飾だった。市営地下鉄の民営化による財政効果を二百七十五億円としていたが、約九十四億円も多く見積もっていたのだ。そもそも地下鉄は市営なので都構想による統合効果とはまったく関係がない。その他にも都構想とは無関係な案件が組み込まれている。


 なぜこんなことが起きたのか?


 橋下が粉飾を指示したからだ。橋下は「数字は何とでもなる。見せ方(次第)だ。もっと何か乗せられないか」と大都市局の職員らに伝えていた。この一連の詐欺について、記者から追及されると橋下は「議論しても仕方ない」と言って逃げた。


 十四 下品



 彼はその日も阿呆だった。橋下の最大の特徴は下品であることだ。「バカ新潮」「バカ文春」「バカ学者」「オナニー新聞」「クソ教育委員会」「経済界なんてクソの役にも立たない」……。


 「週刊朝日」が連載記事の内容について橋下に謝罪をすると、「謝り方も知らない。鬼畜集団だ」と非難。一方、自分の妄想により「週刊朝日」の記者を「人間じゃない、鬼畜、犬猫以下」と罵倒し、事実が判明すると「ツイッターでの謝罪で十分」と開き直る。他人に厳しく自分に甘い。


 十五 撤回



 彼はその日も阿呆だった。橋下の唱えた政策はほとんど撤回されている。法螺を吹いて愚民を騙し、タイミングを見計らい撤回するわけだ。橋下は「ふわっとした民意を誘導するのも政治」と述べているが、これは全体主義の手法そのものである。


 「相対評価で最低ランク(全体の五%)が二年続いた教員」を分限免職の対象とする案も撤回。


 市水道局の民営化も撤回。


 民主党政府倒閣を宣言するも撤回。


 大飯原発の再稼働について「基本的には認めない」と発言した翌日に「事実上、容認する」と述べ撤回。


 「大阪都」構想実現のための法案が成立した場合、国政進出しない可能性に言及したものの、四日後に撤回。


 普天間基地の県外移転、資産課税、小中学生の留年、ベーシック・インカム、市職員に対する強制アンケート……。結局、橋下がやってきたことは、嘘と欺瞞と詐欺の積み重ねであり、政治に対する信頼を地に落とすことだった。


        ※


 太宰治の『人間失格』もまた半自伝的小説です。連載最終回の掲載直前に太宰は自殺しており、一九四八年に雑誌「展望」で発表された。


 「第一の手記」で主人公はこう述べる。

 「恥の多い生涯を送って来ました」


 「つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです」


 人間を理解できない主人公は、やがて「道化」として振舞うようになった。一時的に人気者になり、チャホヤされた。人々の注目も浴びた。嘘に嘘を積み重ねた人生だった。主人公はやがてドツボに嵌り、最後に脳病院に収容される。


 彼はこうつぶやく。


 「いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人という刻印を額に打たれる事でしょう。人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました」


 芥川と太宰の小説は、人間という存在がどこまで落ちぶれることができるかその「悲しさ」を描いている。そしてその「悲しい人間」には、現代社会の狂気が少なからず反映されている。