朴槿恵氏「日本は元慰安婦を侮辱」首脳会談否定
(2013年9月30日20時46分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130930-OYT1T01114.htm?from=top


 【ソウル=中川孝之】韓国の朴槿恵パククネ大統領は30日、訪韓したヘーゲル米国防長官と大統領府で会談し、日韓関係について、「歴史や領土問題で後ろ向きの発言ばかりする日本の指導部のせいで、信頼関係を築けない」と述べ、10月上旬にバリ島で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)などでの早期の日韓首脳会談の開催を否定した。


 大統領府によると、ヘーゲル氏が日韓関係改善に期待感を示した際、朴氏は「私も韓米日協力の重要性はわかっている」と応じた上で、名指しを避けつつも安倍政権批判を開始。いわゆる従軍慰安婦問題を持ち出し、「日本は謝罪どころか、繰り返し侮辱している」と強調した。



いすけ屋



 この女性大統領を選んだのは韓国国民であるが、日本の総理大臣と違って直接投票だから、自業自得だろう。これまでの大統領は、ほんとのことを知っていても、落ち込んだ支持率回復のためにカードとして使ってきたが、朴槿恵大統領は韓国教科書に書いてあることを心底信じている大ばか者のようだ。はっきり言って日本は韓国を全く必要としない。当ブログでは朴槿恵大統領就任以来、国交断絶を主張している。



 従軍慰安婦について、韓国のノンフィクション作家、金完燮が韓国人としてすばらしい分析を交え、解析している。この文を朴槿恵大統領に見てもらいたいぐらいだ。日本人の解説本より判り易いと言ってもいいぐらいの金完燮の解説文は上、下に分かれているが、ぜひとも通読してほしい。




(引用始まり)



日韓「禁断のテーマ」を斬る!   
「従軍慰安婦」騒動の真実(上)
SAPIO 2002年8月21日・9月4日号 ノンフィクショッ作家 金完燮
(当時の原稿に加筆・修正を加えました)


 「日本統治はわれわれにとって幸福な面も多かった」「韓国の反目感情は、歪んだ教育によって作られたものである」――韓国気鋭の作家・評論家である金完燮氏の著わした『親日派のための弁明』(日本では草思社刊)が大きな反響を呼んでいる。


 2001年8月に草稿を掲載したウェブサイトが検閲機関によって閉鎖され、2002年3月の刊行直後には政府がこの本を「青少年有害図書」に指定。さらに朝鮮王朝の末裔から「名誉棄損」などの罪で告訴され、逮捕された。その後、7月の日本語版刊行に合わせた東京での記者会見も、事実上の。出国禁止処分・を受け中止となった。


 そのような状態にある金氏が、『親日派――』に載せられなかった持論を日本人に訴えるべく本誌に特別寄稿した。




 幼い頃から私は日本統治時代に「挺身隊」というものがあったということを知っていた。記憶を辿れば、それは学校の教師や本、漫画、テレビなどを通して得た知識だったと思う。とりわけ、テレビドラマで表現された挺身隊の話はあまりにも残酷で、いま思い出しても身の毛がよだつほどだ。最近に至るまで私が得た挺身隊の知識とは概ね次のようなものである。


 「日本統治時代の末期、日本軍は全国を回って手当たり次第若い女性を捕まえて軍隊に閉じ込めて慰安婦として働かせた。その数は数十万人にのぼり、挺身隊に連れて行かれないように両親は10代前半の女の子を誰とでもいいから結婚させなければならないほどだった。人妻なら連れて行かれないからだ。そのため年配の男たちが幼い妻を娶って得をすることが多かった。連れて行かれた女性のほとんどは純潔を失った後、自殺したり、日本軍に反抗したために殴り殺されたり、あるいは病気で死んだ。生きて戻った女性はほんのわずかだった……」


 今でも従軍慰安婦に関する韓国社会の定説は右のストーリーとほとんど変わらない。


 たとえば、韓国の高等学校国定教科書は「日本軍慰安婦の実像」というタイトルで従軍慰安婦について次のように記述している。


 「日本帝国主義は1932年頃から侵略戦争を拡大していき、占領地域で『軍人の強姦行為を防止し、性病感染を予防、軍事機密の漏洩を防ぐため』という口実でわが国と台湾および占領地域の10万人から20万人に達する女性を甘言と暴力によって連行した。


 彼女らは満州、中岡、ミャンマー、マレーシア、インドネシア、パプアニューギニア、太平洋にある島々と日本、韓国などの占領地へ性奴隷として送られた。11歳の少女から30歳を超える多様な年齢の女性らは『慰安所』に留まって、日本軍人を相手に性的行為を強要された。彼女たちは軍隊と一緒に移動したり、トラックに乗せられて軍隊を訪れたりもした。彼女たちの人権は完全に剥奪され、軍需品、消費品のように扱われた。


 終戦後、帰国しない被害者の中には現地で捨てられたり自決を強要されたり、虐殺された場合もあった。運よく生存して故郷に戻った日本軍慰安婦被害者は社会的疎外と羞恥心、貧困、病弱になった体で終生苦しんで生きていかなければならなかった」(2003年韓国高校国定教科書)


 だが、このような記述は事実と異なり、事件の実態を深刻なほど歪曲している。「歪曲」という言葉は婉曲な表現で、実のところ起きた事に対してまったく食い違うイメージを植え付けるという意味で、この記述は「創作された」というべきだろう。


 では、真実はどのようなものだったのか。


 従軍慰安婦は大東亜戦争時、海外に派兵された日本軍の強姦を予防し、性病の被害を防止、軍の士気を鼓舞するために始められた制度だ。


 ヨーロッパで第1次世界大戦が進行していた時期の1917年、ロシア革命が起きた。日本は「革命軍に囚われたチェコ軍団を救出する」という名分で1918年から1922年まで米国などとともにシベリアに出兵した。この時、シベリア遠征軍7万2000人のうち、1万人を超える日本兵が性病に感染した。戦死者より性病忠者のほうが多いという大変な事件が発生した。


 この事件を契機に日本軍では海外遠征車の性病被害を減らすために特別の措置が必要だという問題が提起された。


 しかしその後、日本車の大規模海外遠征がなかったため、この事件は忘れられていたが、1931年、満州事変をきっかけに中国と戦争が始まると日本軍部内で慰安婦が制度化されることになった。


 当時、関東単が満州を占領すると日本海軍は中国軍の抵抗を牽制するため、第1派遣艦隊を華中・華南に、第2派遺艦隊を華北に配置したが、1932年1月、上海駐屯海軍特別陸戦隊(海兵隊)と中国軍の間で戦闘が開始された。上海事変である。


 この事変によって日本政府は2月、陸軍第2師団と第12師団から選び出された混成1個旅団を上海に派遣、以後、日本は陸軍と海軍の正規部隊を上海に駐屯させるようになった。これがシベリア出兵以後最初の海外派兵である。


 この時、上海派遣軍参謀副長、岡村寧次大佐は長崎県知事に慰安婦を送るよう要請したといわれるが、これが公的な慰安婦制度の始まりとなった。


 日本軍はシベリア遠征軍の悲劇を忘れていなかった。性病で多くの兵士が戦線を離脱したという事件を教訓に、独創的で効率の高い制度を創案したのだ。岡村大佐は慰安婦が到着した後、強姦㈲件がなくなり、大変満足したという記録がある。


 軍隊とは国家の武力であり、軍人は戦時の殺人を目的として訓練される。軍隊は20代前半の男性を中心に編成されるが、男性にとってこの年代は体力と精神力、そして知的な能力が最高潮に達する時期である。国家はこの時期の男性を殺人機械として犠牲にして国家の繁栄と安全を維持しようとするが、その代価として性欲が最高潮に達している軍人に最小限の欲求解消を保障しなければならない。


 にもかかわらず、体系的な慰安婦制度を運営した国はそれまで日本を除いて他になかった。慰安婦のない軍隊は戦争において常に殺人と強姦を行なう可能性がある。特に海外に派遣された軍隊の場合にその傾向が強く、それまでの戦争では勝利した軍隊が占領地の女性を強姦することは当然と考えられてきた。軍人にとって女性は重要な「戦利品」だったのである。


 敗戦直後、日本と朝鮮では米軍とソ連軍による数多くの強姦事件が発生した。韓国と日本では今でも駐留する米車による殺人や強姦事件が後を絶たない。韓国における米軍人による強姦・殺人事件は累計200余件にのぽる。犯罪者である米軍兵士が処罰されることはほとんどなく、韓国の反米感情は独立以来最高潮に達しており、駐韓米軍はいつも韓国人のテロを心配して緊張の中で生活している。


 駐留米軍がもし、軍隊内で体系的な慰安所を運営したなら、女性を被害者とする悲惨な事件は起こらないのではないかと思うのだが、売春を禁止する米国が慰安婦制度を取り入れることなどできようもない。日本政府や日本軍が責任を負う性格のものではない。


 韓国人元慰安婦の証言によれば、彼女たちのほとんどは強制的に連れて行かれ、賃金も兵士から受け取った軍票を雇い主に渡しただけでお金には触ることもなかったという。しかし、これがすべての朝鮮人慰安婦を代表する証言だとみることは難しい。慰安婦として働き短期間に莫大な財産を築いたり、あるいは良い軍人と出会い結婚したりした慰安婦も多かったという証言もあるからだ。(続く)


(引用終わり)