いすけ屋



 従軍慰安婦を問題にした第一の犯人は「朝日新聞」だ。しかし戦前の朝日は「強制連行」の真犯人が朝鮮人だと報じていた。ところが陸軍省は1938年3月4日に「軍慰安所従業婦等募集二関スル件」と題する命令書を発令している。内容は「悪徳業者に十分注意し、問題の起こらないように配慮を怠るな」という厳命なのであるが、この文書を軍が関与した証拠だと、いきなり「軍隊=悪」の報道姿勢に振り替わったのである。



 水間政憲氏はそれらの実際の証拠をあげて、「朝日新聞」を糾弾している。ちなみに、その文書を発見したのが例の吉見義明氏だ。「これで証拠が見つかった」と小躍りして自分の手柄にしたが、何のことはない、悪徳業者注意命令書であった。逆に軍は業者に対して不正は許さなかったという証拠になってしまったのだ





(引用始まり)



朝日新聞〈朝鮮版〉の研究
「慰安婦」報道=戦前・戦後の大矛盾
SAPIO 2009年4月22日号  ジャ-ナリスト 水間政憲                         
   


 「慰安婦強制運行」説を主導してきた朝日新聞が当時の朝鮮版で「慰安婦」についてどのように報道していたかを精査すると非常に興味深いことがわかった。


 筆者は、本誌2007年5月9日号で「新史料発掘――当時の朝鮮紙が報道していた極悪『朝鮮人業者に強制連行の動かぬ証拠』をレポートした。


 まずはそこで紹介した東亜日報の記事をざっと振り返ってみよう。


 〈路上で少女を拉致 醜業、中国人に売り渡す 売り飛ばした男女検挙 判明した誘拐魔の手口〉(『東亜日報』1933年6月30日付)
 〈良家の少女を誘拐して 満州に売り飛ばし金儲け 釜山暑犯人を逮捕〉(『東亜日報』1938年12月4日付)
 〈悪徳紹介業者が跋扈 農村の婦女子を誘拐 被害女性100名を超える〉(「東亜日報」1939年8月31日付)


 彼女たちが性風俗要員であったであろうことは想像に難くない。このように、朝鮮半島で一般女性を拉致監禁して遊廓などに売り飛ばしていたのは悪徳朝鮮人業者だった。では朝日新聞・朝鮮版では当時のこのような状況をどう伝えていたのだろうか。


 〈婦女誘拐の一味 遂に送局さる 元釜山府臨時雇らの首魁
 官印偽造、公文書を偽造行使し多数の婦女子を誘拐した元釜山府庁臨時剔釜山府大倉町四丁目五十九番地金束潤(二十七年)ほか七十七名に係る公印偽造、公文書偽造行使詐欺誘拐事件は釜山署で取調中のところ今回取調終了、二十日一件記録とともに身柄を送局したが拘束者は金束潤ほか九名、起訴意見十一名、起訴猶予五名、起訴中止六名、不起訴五十五名である。
 被害婦人は二十八名に上り、このほか南洋方面に誘拐されたものも多数ある〉(「大阪朝日・南鮮版」1939年11月21日付。写真①)


 他にも悪徳朝鮮人業者が摘発された記事がある。


 〈田舎娘など十四名も誘拐 一味送局さる
 京城府蓬莱町四丁目無職裴長彦(五十七年)ほか十一名は共謀して田舎の生活苦に喘ぐ家庭の娘、あるひは出戻り女など十四名を誘拐して酌婦あるひは娼妓などに売飛ばして約一万余円をせしめてゐた事件は西大門署で取調べてゐたが、二十五日一件書類とともに送局した〉(「大阪朝日・西鮮版」1940年6月28日付。写真②)


 朝日新聞も「強制連行」の真犯人が朝鮮人だと報じていたのだ。「慰安婦」は当時合法であったにもかかわらず社会問題となったのは、一部で悪徳朝鮮人業者が婦女子を拉致、誘拐していたことによる。そこで、これらの悪質な朝鮮人業者に対し、陸軍省は1938年3月4日に「軍慰安所従業婦等募集二関スル件」と題する命令書を発令している。


 「(婦女子を)不統制に募集し社会問題を惹起する虞あるもの(略)募集の方法誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くるものある等注意を要す(略)周到適切にし其実施に当たりては(略)警察当局との連携を密にし(略)社会問題上遺漏なき様配慮」せよというものである。


 悪徳業者に十分注意し、問題の起こらないように配慮を怠るなという厳命である。


 だが、朝日新聞は1992年1月11日の朝刊トップで、この『軍慰安所従業婦等募集二関スル件』を「(慰安婦)募集含め統制」と書き、軍が慰安婦募集に直接関与していた証拠として取り上げたのである。悪徳業者を取り締まるための軍の「良識的な関与」を、あたかも軍が「強制」に関与したかのように報じるのは意図的な事実の歪曲だろう。



「話掛け」ですら犯罪と認識される治安の良さ   



 戦後の報道では、日本統治時代の朝鮮半島は軍隊が極悪非道で警察も機能していない、暗黒時代そのもののように批判されてきたが実態は異なる。再び朝日新聞・朝鮮版から。


 〈肩書は天理教の教師 実は稀代の誘拐魔 移動警察の網にかゝる
 天理教教師の婦女誘拐魔が京釜線の国際列車内で移動警察に逮捕された、二十三日午前七時五十分釜山桟橋発新京行き急行列車のぞみの三等客三十歳前後の男子と二十歳前後の娘四人を慶尚南道移動警察が挙動不審で取調べたところ、意外にも右は吉林省古林市天理教商陸教会教師神尾嘘造(三十年)仮名=が天理教教師といふ肩書のもとに信者の娘を甘言をもって満州に連出し魔窟に売飛ばさんとしてゐたこと判明した〉(「大阪朝日・西鮮版」1939年11月25日付。写真③)



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 街の治安だけでなく、国際列車の中まで監督が行き届いていたことがわかる。


 「朝日新聞・朝鮮版」を閲覧して気づくのは、戦時下ゆえに軍事関係の当局発表記事が散見される以外、内容は現代の新聞と大差ない点だ。むしろ今に比べて凶悪事件の報道は少ない印象すらある。そのため何者かが「列車に投石」(『大阪朝日・西鮮版』1940年6月28日付。写真④)したことが報道されるような、のんびりとした時代だった。


 当時の「犯罪」に対する意識がどのようなものであったかが窺える記事がある。


 〈中等学校生の被害が多い 女学生の外出に御注意
 京畿道保導連盟では京城府内に男子中等学生一万八千八十八名、女子九千六百八十一名について昨年四月から本年三月までの盗難、誘拐その他の被害訓査をしたが、このほど統計ができ上った。


 これによると被害人員は男子千四百四十八名、女子二千五十八名の多きに上り男子は全体の八%、女子は約四分の一の二十四%となっており、当局者をびっくりさせた、この比率は大体東京と同じでその他の内地諸都市と比べると約倍近くも多い、このうち男子は盗難、その他金品に関するものが五十五%で喧雌が十四%となつてゐる、女子は追尾や話掛けなどの誘惑的行為をされたのが大部分で六十八%に達してゐる。被害の多い時間は放課後帰途につく午後三時から六時までゝ場所は路上が一番多い。


 保導連盟では目下夏休中で最も誘惑の多い時期なのでこの数字を示して中学生の外出には特に気をつけるやう、また学校がはじまればなるべく道草をせず真直ぐ登帰校をするやう注意を発することになった」(「大阪朝日・中鮮版」1940年8月6日付。写真⑤)


 路上での「喧嘩」や「話掛け」を被虫‥者としてカウントしているくらいだから、この調売結果からすると、現在の日本より治安が良かったのではないかと思うほどだ。


 一方で、戦後、慰安婦を取り上げた記事の中には、当時の遊廓の劣悪な待遇などを問題視し、それを「強制性」の問題と抱き合わせにして報道しているケースがある。


 確かに、昔も今も性風俗の労働環境が劣悪なのは事実だろう。しかし、それは日本の統治が原因ではない。むしろ遊廓と朝鮮入娼妓の待遇問題に取り組んだのは日本の警察だった。


 〈朝鮮人娼妓に救ひの自前制度 全鮮に魁け平壌で実施
 平壌警察署では全鮮にさきがけて朝鮮人娼妓の自前制度を認め二十五日から実施することになった これまで平壌賑町遊廓朝鮮人娼妓の抱主との契約は大正十三年からの年期契約制度で前借の最高は八百円で年期の最長は五年であって娼妓の稼ぎ高五年間にいくら少く見積っても五千円である、この結果四千余円は抱主の不当所得となってゐるといふ不合理なものであって そこで平壌署では協議の末この娼妓への福音が齎されたもので、かねて平南道へ認可申請中のところ二十一日許可が下りいよいよ二十五日から実施されることになったものである〉(「大阪朝日・北鮮版」1940年6月25日付。写真⑥)



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「朝鮮人娼妓」の劣悪な待遇を見るに見かね、地元警察が地方自治体の平南道庁へ待遇改善を申し入れして認められたとの記事である。


 このように朝日新聞・朝鮮版の記事は、朝鮮半島で内地と同じように警察が機能し、治安が維持されていたことを伝えているが、現在の朝日新聞の論調は真逆になっている。



(引用終わり)