いすけ屋



 「第一章 痴れる日本の知力」の続編。結局はアメリカとのインテリゼンス戦に敗れた結果、「A級戦犯」やら「侵略国家」が独り歩きするように、日本の代名詞にされてしまった。日本の知力の敗北なのである。私個人的には、放射性物質たる反日日本人による内部被曝の影響も大きいと考えている。だって、中央官庁を占拠されたようなものだから。ただし。若狭先生は、日本は米英を捨てロシアに向いて行った外交の誤りを、「日本の知力」として見ているようだ。




続き



事大主義に揺れた李氏朝鮮の進退   


 朝鮮の植民地支配の罪科はどうか、という声があるかもしれない。


 この問題こそが、ある意味では日本人の知力の試金石かもしれない。アメリカの黒船外交に敗北した日本が、支那(清国)と朝鮮との連衡に活路をさぐるが、やがてその恋は実らないことを知るにいたる。それはロシアと清国が、朝鮮と日本の縁談を絶対に認めなかったからである太古はいわず、大韓帝国成立の前に独立した国家はない、と言ってよい。古く中国人の植民国家箕氏「朝鮮」以来の歴史については別に触れるともあれ、韓国の独立を日本が奪ったというのはウソである。大韓帝国として独立したのは、日清戦争に日本が勝利したのちである



 だが、日本が三国干渉に屈するのを見た韓国は、事大主義の伝統に従い、ロシアにすり寄った。しかし、韓国皇帝はロシア公使館に監禁されたそして、ロシアを追放したのは日本である。さかのぼれば、明治維新から両国の関係は、不幸なスタートを切っていた。不幸にも朝鮮(李氏朝鮮)は、幕府からの政権交代を認めず、明治政府を日本政府として承認しない態度に出た。いわゆる征韓論が日本の朝野に沸騰した。


 明治政府を日本政府どして承認しなかった国家は朝鮮以外にはない。ひとり隣国の朝鮮のみが不承認の態度を変えようとはしなかった。政権の交代があり、新しい政府が最も神経を使うのが、諸外国が認知してくれるかという点である。


 「朝廷」という文字は清朝のみが用いるものであるとか、「勅」の文字がけしからんとかいう次元の理由で国交を拒否し続けたのが朝鮮(李氏朝鮮)である。もちろん、清国は言わない。これらの動きを熟視し、果断に動いたのがロシアである。


 清国は甘かったと言われねばならない。朝鮮の独立をかけて、日本と清国は交戦するにいたった。日清戦争は、清国と朝鮮(李氏朝鮮)の思惑とは完全に逆の結果で終結した。


 日本の勝利と朝鮮(李氏朝鮮)の独立である。そして大韓帝国が成立した。日本人は忘れているが、コリアの地に初めて成立した独立国家である。日本は朝鮮の独立を奪った、などという理不尽な嘘は粉砕されねばならないのである(大韓帝国の成立については次章で詳述する)。


 この独立を喜ばなかったのは、だれか。清国とロシアである。


 清国は伝統の以夷征夷・借刀殺人の術策を用いて三国干渉を誘導した。再度言うべきだが清国の大失策である。やくざにものを頼めば、結果は恐いことになるのである。


 ロシア、フランス、ドイツは言うまでもなくイギリスも加わって、清国は生体解剖の憂き目に遭うことになった。ここで、清国の生体解剖者にアメリカの名がないが、アメリカは遅れたにすぎない。


 問題はロシアである。満州・遼東半島の隣は朝鮮である。ロシアの南下政策は朝鮮を除外するものでは、当然ない。


 ウラジオストックを日本人は呑気に「浦塩」などと表記したが、ロシア語では「極東を征服せよ」という意味である。極東とは、当然に日本を含む。


 日露戦争に日本が敗れていたならば、東京にはロシア正教会のモスクが軒を競い、日本人などは「マカーキー(猿)」と呼ばれ、少数民族としてでも生存していただろうか。日本こそはロシア帝国の「蜜の流れる地」にほかならなかったのである。清国もそのように使嗾した日本の地はロシア帝国の最良の領土となっていたに間違いない。朝鮮の運命は、通路の民の常として、民族としては消滅していたであろう。


 ところで、朝鮮はどのように進退したであろうか。


 朝鮮(李氏朝鮮)の精神を、匸言で表現すれば事大主義である。自分より大なるものに事える圜である。中華を称するより大なる帝国には専ら事える精神的態度をエトスとしてきたこの半島国家は、日清戦争の勝者日本がロシアを先頭にした露独仏による三国干渉に膝を屈するのを見てより大なるロシアに事えることに変身した。


 露韓密約である。露清密約もほぼ同時に結ばれている。このとき、満州の主権はロシアに売却されている。しかし、日本はこのような権謀術数は知らなかった。伊藤博文は日露協商を唱え、日露戦争の開戦を結果的に大きく遅らせている。


 日本が開戦を最終的に決意したのは、朝鮮国内にロシアの軍事基地が構築され始めたからである。鴨緑江の河口と対馬の対岸の鎮海湾に、ロシアの基地が築かれ始めた。シベリヤ鉄道の完成もせまった。そして日露は開戦した。


 結果は、日本の勝利であった。大韓帝国の立場は決定的に損なわれた。大と事えた清国もロシア帝国も、ともに日本に敗れたのである。


 これらの過程で、事大主義に揺れる表裏常なき韓国(李朝)への日英米の不信感は募る一方であった高まる内外からの併合論に反対していた伊藤博文が朝鮮人青年により暗殺された。この事件は、例えて言えば、敗北した日本がトルーマン大統領を暗殺したようなものである。そうであったら皇室は廃絶され、もしかしたら日本はアメリカの一州より以下の統治領の扱いを受けていたかもしれない連合軍諸国(UN)は了承したに間違いはない。


 日本の行った韓国併合に反対した国は存在しなかった。世界列強は、これで極東は安定すると、あげて賛成したのである。韓国内部の最大の「政党」である一進会は、全会一致で併合に賛成している。併合嘆願の決議すら各会派はなしている。


 これらの経過については、章を改めて詳しく述べる。



「亡国は自らなす」の言葉を自戒とせよ  


 確認しておくべきは、亡国は自らなすということである。これは日本にも言えることである。日本を滅ぼす者は、日本人である。まさに「六国を滅ぼす者は、六国なり。秦に非ず。秦を族する者は秦なり。天下に非ず」(『阿房宮賦』)である。


 大韓帝国を滅ぼしたのは、大韓帝国の国民にほかならない。日本人が滅ぼした、などとは言葉の正確な意味において、実に亡国の民の言葉である。例えば、先の大戦の日本敗北の責任者は、まさに日本人にほかならない。FDR(ルーズベルト)でも、スターリンでもないのだ日本の責任で日本は敗北したのである。そして、敗戦後の追撃戦においても、日本人の責任において日本は完敗したのである。だから再興も当然に日本人の責務である。


 日本の敗北はアメリカのせいなどと言う日本人には、日本で座るイスは与えられてはならない。韓国人も、日本の劣情日本人もこのような文脈を知らない点では、不思議に通底している。日本の悪口を言っているうちは、ホンマもんではあり得ないことを韓国人は心魂に徹して知るべきである私には多くの韓国人・朝鮮人の友人がいるが、私たちが友人たり得ているのはこの一点に依拠している友人たちは、一様に愛国者である意余って、日本の文化はあれもこれも朝鮮のコピーのように言う者もいるハングルを世界最高の文字と言うから、日本統治下の小学校教育でハングルは普及したではないかと言っても、「世界最高」の所以を言い募るので、お国は漢文の国であってハングルは諺文といって卑語ではなかったかといった調子の論争は、友情を損ないはしない



 閑話休題として、以下を書く。


 日本人は反省し過ぎて、韓国人は反省しない、と聞くことがある。

 正しくは、日本人は追撃戦に負けて、そのことによって本当の反省ができなくなっている、と見るのが正しい。マジな反省を「省察」と仮に呼ぶことにする。自分のことを自分で反省するのは、多くが「省察」の系である。だから、バリエーションも含めて、「省察」の語を用いる反省とは、「省察」だ。省察すれば、朝鮮



併合は日本の大失敗である

 中国人も韓国人も反省するというのは自分の不利なことを認めることの系だと考えるだから、自省を求めることは完全に飛んで、攻撃的な糾弾にしかならない、と私は感じ続けている個々の韓国人は立派な人が多いのに、国民的反応としての対日反応はなぜか個人的美質が吹き飛んでしまうのである。以上は休題。


 日帝三十六年の恨みをいつまで言うのだろう。私の郷里・博多には、「むぐり」 「こくり」という言葉がある。泣きやまない子供は、「むぐり・こくりが来るぞ」と黙らされたものだ元寇のときに受けた恐怖のDNAが「モンゴル」「高麗」が来るぞと、言わせているのである。元寇は七百年もの昔だが、百年前の朝鮮併合とは「相対的」に六百年の差があるにすぎないだが日本人が元寇のときの高麗兵の残虐行為を批判した事実は、寡聞にして知らないそれは「遠い昔」のことだからというだけのことではない。「刀伊の賊」のことも言わない知らないからではない。逆に「広開王碑」のことも言わない。


 言わない理由は、「お互いに禍福いろいろありまして……」という気持ちである。わが家の『家譜』なる書には「蒙古との合戦、戦死」した人物が書かれている。秀吉の朝鮮侵攻では黒田軍の一将として一族あげて参加し、戦死した先祖筋の二人の名も書かれている。


 「禍福いろいろありまして……」という感懐は、歴史を読む椅子の生地の織り柄であるべきなのだ。




米国とのインテリゼンス戦に敗れた日本  


 アメリカとのことに触れて、次の章に移りたい。


 日本人とアメリカの最初の出会いは捕鯨をめぐってである。「捕鯨国」日本に対する今日のアレルギー的反発は「禍福いろいろありまして」と興趣をそそられる問題である鯨肉を目的としてではなく、脂肪・骨・血液を主として狙ったアメリカ捕鯨は、アメリカ人の生活を大きく支える産業であった。脂肪は灯火、骨と歯は馬車の軸受けや女性のスカートの骨、血液は食品(サラミー)といった「骨がらみ」の生活物資を背景に、ペリー艦隊は江戸湾に侵入した。


 憎むべき侵入者の親方は、いつの間にか「開国の恩人」となり、日露戦争の終結の仲介はFDRの伯父セオドア・ルーズベルトが担ってくれた少なからぬ数の日本人はアメリカに恩義を感じたしかし、アメリカにとっての現実は、「太平洋には日本の連合艦隊に対抗できるシーパワーは存在しない」という風景であった。


 対日戦の作戦計画「オレンジプラン」は、こうして策定が開始された。大西洋艦隊を回航させたホワイトフリート(白い艦隊)の日本訪問の脅しを、日本人は熱烈歓迎したのであった。


 日本が「赤色ロシア」の脅威を冷徹に観察できたなら、日米関係のあるべき構想も、そして日中関係の構想も別の知力によって策定された可能性もないではなかったしかし、あの石原莞爾ですら社会主義の幻想に幻惑されていたのであるから、日本の知力の限界もここいらにあったに違いないのである。蛇足を重ねるが、インテリセンスとは知性・知力という意味も帯びてはいるが、謀略の意味も深く秘めている。


 知は矢と口とからなると書いたが、知性の本質的意味については洋の東西を問わないひとり日本人だけが、知的であることの意味の理解に漂流しているにすぎない反省は省察と書いたが、アメリカの非をあげつらうことは、日本人は自分の知性を堕落させると知るべきなのだ関東大震災の援助に駆け付けたアメリカは、後の戦略爆撃のヒントを得ている木造家屋からなる日本の都市は、燃やせばよいという着想である。


 インテリゼンスとは、このような意味を秘めたものだ。

 震災の援助を利用して日本人の都市攻撃の構想を練る、というのはインテリゼンスの通常の生態なのだ。私はアメリカのインテリゼンスの優越をホメているのではない逆のことが言いたいのであるアメリカのインテリゼンスの狂いこそが、日米両国のみならず世界的な厄災を招いた当の原因なのだ。そして日本の朝鮮併合の過誤が誤りに拍車を入れたのである。


 「赤色ロシア」とコミンテルンの脅威についての判断ミスは、アメリカ政権内部にもコミンテルンの侵入を許し、日米衝突と中国の運命をも大きくゆがめた日本政権内部へのコミンテルンの侵入は言うまでもないバケツの底の抜けた状態で、日本はインテリゼンス戦を戦い、当然に完璧に敗北した。真珠湾の騙し討ちという神話は、おそらくは過ぎた二十世紀で最も悪質な冗談と化すだろう。FDRはアメリカの多数の青年を死地に投じた。


 昭和十六年十一月二十六日、ヒトカップ湾を出撃した日本機動部隊はその瞬間から追尾・モニターされていた流氷と吹雪の海はジャングルではなかったのである逆に、ウラジオストックに陸揚げされるソ連援助物資を運ぶアメリカ船団の航路を、日本機動部隊は「秘匿行動(!)」と考え航行し続けていたのであった。完璧な無電封鎖、というのはウソである。機動部隊の指揮官たちこそが禁を破っている。


 FDRにも誤算があった。日本海軍の攻撃力を甘く見ていたのである。予想以上の損害を蒙ったわけであるが、この誤算はそれ以上の日本海軍首脳の過ちによって救われている。


 機動部隊のアイデアは日本海軍のものである。のみならず空母部隊を基幹とする航空艦隊の発想は日本の決戦思想にほかならなかった。しかし、この思想は十分な自覚のない思想にすぎなかった。ハワイ作戦は支作戦にすぎないのだ。


 開戦の決意が諸資源の枯渇に駆られたものであり、当面の主作戦は南方作戦にほかならない。支作戦の任務は主作戦の成功を支えるにある。敵主力艦隊の撃滅を目的とする主作戦は、当然に決戦思想に基づく作戦である。


 支作戦にすぎないハワイ攻撃に決戦思想を小出しにすることにより、次のさらなる錯誤を準備するのである。ミッドウェーの敗北は、本質的に自滅である。さらに言えば、ミッドウェー作戦も決戦ではなかった。戦略思想の欠如は決戦の構想をなし得なかった。


 ミッドウェー作戦の失敗は、戦略思想の欠落の産んだ結果であった。米海軍の一大反撃の企図を待って、敵主力を太平洋のただなかで撃滅する決戦思想こそが、日本海軍のとる道であった。これが決戦かどうかの判断は戦略思想の質が決する。


 空母基幹・航空艦隊の思想は、当時では他国が不知のうちは最強の戦法である知ったアメリカは一週間にほぼ一隻の割で空母を進水させていまっ黒に空を覆う航空機に守られた米軍を相手にするとき、決戦に勝つチャンスはもはや訪れなかった日本海軍は完敗したやがて訪れた決戦・マリアナで完敗した。


 陸軍を悪者視する論調は多いが、太平洋で負けたのは海軍である。海軍が負ければ、陸軍が勝てないのは当たり前である。そこは太平洋だからだ。


 戦域を際限なく広げ、攻勢終末点をなくした日本海軍はその瞬間に、勝利の可能性も失ったのであるマレー沖海戦は、基地航空のあげた戦術的勝利であった戦術的勝利を重ねても、戦略的勝利がなければ戦争には勝てないプリンス・オブ・ウェールズとレパレスの撃沈は、空母発進の攻撃機による戦果ではなかったことは偶然の幸運であったイギリス海軍は空母基幹の発想に気づいた形跡はない大艦巨砲の時代の終わりをアメリカに教えたのは、日本のハワイ攻撃にほかならない。ハワイ攻撃は日本の失敗の巨大な一歩である。


 戦闘機の大群に空を覆わせたアメリカ軍は、大艦巨砲も活用して陸海空一体となって日本軍を叩きつけていった。島を守る将兵の勇戦敢闘も、沈黙させられるしかなかった。


 このようなアメリカの勝利の行進が、しかしスターリンの高笑いを誘っていることに気づいた者はいなかった。


 日本は敗れた。七年間の軍事占領という追撃戦により、日本人は徹底的に歴史の痴者と化していった。追撃戦を仕掛けた勝者アメリカも、勝者ではあっても、賢者となることはできなかった。日本が敗れたアジアは、共産主義の勝利の行進が続いた。


 冷戦の結末は、日米同盟を軸にした西側の勝利に帰したソ連崩壊時のGDP比をいうと、日米が一七五に比しソ連のそれは三〇に足らない日本の経済復興は、吉田茂の功績とともに語られることが多いが、私には吉田は追撃戦敗北の責任者に見えてならない昭和二十七年四月二十八日の講和発効のときに、吉田は日本の再建をどのように考えたのだろうか日本人は知ってはならないとされ、あるいは自ら進んで歴史の痴者となっていった過程のただなかに吉田茂は立っている吉田とは何者なのだろう吉田のインテリゼンスとは何だったのだろうか勇気・気力・意志力は知性が培地である。知性は歴史認識の地にこそ生きる。吉田が大宰相だったと信じるほど、私は素直にはなれない。


 この間に「知ってはならない」何かが介在するのだろうか。


 以下、テーマを追っていきたい


続く「第二章 韓国併合で知ってはならない歴史」に続く