いすけ屋



 いよいよTPPはほぼ交渉参加となった。テレビ各局は専門家を呼んでいろいろ解説しているが、何故か「関税が撤廃されたらどうなるか」という論点でのみ、メリット、デメリットが語られている。国会の予算委員会での各党の質問も似たり寄ったりだ。しかしTPPの本題は先日も書いたが、「ISD条項」と「ラチェット規定」である。


 TPPはその経済力の大きさから言って、日米FTA条約に等しい。そこで、日本に先んじて韓国は米韓FTA条約を結び、コメの関税撤廃は免れたが、「ISD条項」と「ラチェット規定」を呑まされている。前回も説明したが、「ISD条項」とは、国家と投資家の間の紛争解決手続きであり、ある国家が自国の公共の利益のために制定した政策によって、海外の投資家が不利益を被った場合には、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えることができる制度である。言い方を変えれば、ISD条項とは、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。


 日米間では、例えば車の排ガス規制を米国並みに緩めよと言われて、基準を下げざるを得なくなる。あるいは日本の保険制度にいちゃもんをつけ、国民皆保険制度の変更を迫られるかもしれない。実は関税そのものは企業競争力とは殆ど関係がなくなっている。グローバル化を押し進めた結果、自動車も電気電子製品も既に、米国における現地生産を進めている。製造業の競争力は、関税ではなく通貨の価値で決まるのだ。円安でトヨタの黒字がどれだけ増えたか、説明するまでもないだろう。これまでの韓国企業の競争力は、ウォン安のおかげであり、日本の輸出企業の不振は円高のせいだった。もはや関税は、問題ではないのである


 「ラチェット規定」とは、現状の自由化よりも後退を許さないという規定であり、一度門戸を広げてしまうと、もう戻せないという規定だ。米韓FTAでもここまで呑まされた韓国は、韓国は、排出量基準設定について米国の方式を導入するとともに、韓国に輸入される米国産自動車に対して課せられる排出ガス診断装置の装着義務や安全基準認証などについて、一定の義務を免除することになった。つまり、自動車の環境や安全を韓国の基準で守ることができなくなったのだ。また、米国の自動車メーカーが競争力をもつ大型車の税負担をより軽減することにもなった。これが、「ラチェット規定」により元に戻せない


 ここまでわかってくると、TPPに参加するしないは、むしろデメリットの方が大きいことがわかる。日本はもはや米国の属国ではない。日米安保の片務性さえ解消すれば、あくまでも対々である。この根本を忘れなければ、TPP交渉参加しても、国益第一に頑張ってくれるだろうが、日本の官僚はいまだに米国の属国気分でいる反日日本人が多い。戦後教育の影響がまだ抜けないからだ。日本はISD条項を断固として拒否しなければならない。


 その辺の事情を的確に指摘している本が、下記である。まえがき部分を紹介するが、ぜひとも1冊通読してほしい。なぜ、日本がこんな風になってしまったのか、よくわかる本だ。


 



日本人に知られては困る歴史   
「昭和の大戦と東京裁判の時代」(WAC)



 まえがき



 昨年の九月、「日露戦争と世界史に登場した日本」を上梓した。本書はその続縮である。とは言いながら、それぞれに独立した構成とした。そして、両書のカバー右肩には、「日本人に知られては困る歴史」という共通キャッチコピーを記した。


 「知られては困る」嘘の歴史が日本人の頭を支配している。誰が嘘の歴史を編んだのか。言うまでもないが、GHQである。


 七年八ヵ月に及ぶ彼らの支配の眼目は、敗戦の惨禍は軍国日本の指導者の責任であり、つまりは日本人の自業自得であるという意識の刷り込みにあった。刷り込まれた意識の標本が広島のあの碑文である。



 「安らかに……過ちは繰り返しませんから」


 GHQは日本人にロボトミー手術を施したのである。この手術の成功例のひとつが、異常な少子化である。一人の女性が生涯に出産する子供の数(特殊出生率)が、2・01を超えていなければ人口は減少する。現在の日本は1・04を割っており、東京では0・96という。結果としてミ十年後の日本人は一億人を割り込み、凄まじい少子高齢社会の日本が出現することになる。


 家族制度の否定と性道徳への嘲弄が、「戦後思想」の柱として定礎された。二〇八〇年の日本人は七千万人と減少し、百年後には三千万人が辛うじて生存しているかと推計されている。日本はいままさに、崖っ淵に立っているのだ。


 キンゼー報告に端を発する産児制限の思想的基盤は、明らかに共産主義に根を持っている。マルクーゼやアドルノらのフランクフルト流の共産主義思想が、敗戦日本を支配した時期が厳存したのである。昭和二十ー年~二十五年生まれくらいを団塊世代というが、その世代は途中で切られた世代なのだ。以降の出生数の減少は、堕胎が合法化され、のみならず推奨された結果である。


 レーニンたちボルシェビキに不満な共産主義者たちは、フランクフルト大学を中心に拠った。彼ら「先進国型マルキスト」が主導したのが、ワイマールドイツである。ワイマールドイツがナチに打倒されると、フランクフルト・マルキストたちはアメリカに逃れた。ルーズベルト大統領は彼らの強力な庇護者であった。ルーズベルトは社会主義者であると聞いて慌てて否定する人は、善意ならば別だが、承知でなら共産主義の仲問に違いないのだ。いまのアメリカでは、ルーズベルトについて語ることはタブーに近い。


 日本人は、GHQによる七年八ヵ月に及ぶ長い追撃戦の期間の後遺症を意外と気づいていない。東京裁判というのは、追撃戦の一部に過ぎない。公職追放によって、七十万人の日本人の指導者は教育界、言論界、政界、財界から追われた。代わってわが世の春を謳歌したのが、アメリカ軍公認の日夲人たちである。渡部昇一先生は、彼らのことを「戦後利得者」と呼ばれる。言いえて妙なりである。


 本書では彼らのことを詳しく書いておいた。現在でも彼らは各界の主要な地位を占めている。民主党のイデオロギーは戦後利得者たちの編み出したものである。戦後レジュームからの脱却を唱える安倍政権への敵意は凄まじい。


 日本はいま崖っ淵に立っている。日本人は本気にならねばならない。



          平成ニ十五年一月           若狭和朋