【主張】原発比率 成長実現する選択肢示せ

2012.7.31 03:34
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120731/plc12073103340004-n1.htm


 2030年の総発電量に占める原発比率について、経団連は「20~25%」が妥当だとし、5年内に再び議論すべきだとの意見書を提出した。


 野田佳彦政権は、経済への影響を懸念する産業界の声や各選択肢の実現可能性などを多角的に検討し、適正な原発の割合を導き出してほしい。


 政府のエネルギー・環境会議は30年の原発比率の割合を「0%」「15%」「20~25%」とする3つの選択肢を示し、政府はそれを基に意見聴取会を進め、国民的議論を通じて結論を出すという。


 だが、個人参加の意見聴取会では、「原発ゼロ」を求める声が多く、電力会社関係者を除外するなど多様な意見を制限している。産業界からの不安を議論に反映させる仕組みも不十分なままだ。


 当面の電力不足をどう解消するかも見えない。野田政権は、資源小国として安価で安定的な電力供給をいかに確保するかという、国家のエネルギー安全保障の観点から判断しなければならない。


 3選択肢は実質経済成長率が年1%程度でのエネルギー消費を前提とする。だが、政府が30日に決めた日本再生戦略では実質成長率目標を年2%に置いている。


 成長率が高まれば、その分、エネルギー消費は増え原発の必要性は高まる。年2%成長のためにはいかなる選択肢が必要なのかを示すべきだ。


 選択肢では、太陽光や風力など再生可能エネルギーの比率を25~35%に高める。だが、水力を除く再生エネ比率は現在、1%にすぎない。それを大幅に増やす具体的な道筋は示されていない。実現可能性には大きな疑問符が付く。


 その再生エネの全量買い取り制度は7月から始まった。だが、原発ゼロで再生エネを35%まで増やすとなると、電力料金は最大2倍に上昇すると試算される。輸出企業の国際競争力は低下し、料金転嫁が難しい中小企業にとっては死活問題となりかねない。


 再生エネの拡大策については、経団連も「実現可能性が低い」と批判し、早急な見直しが必要という立場だ。こうした意見を反映させていくためにも、拙速な結論は避けるべきだろう。


 山口県知事選では、反原発を掲げる候補が敗れ、冷静な民意が示された。政府も、将来の現実的なエネルギー政策を見据え、国民的議論を促す姿勢が求められる。




いすけ屋


 朝日、毎日、東京中日、日刊ゲンダイなどの左巻き紙は、とにかく脱原発をうたい、国民B層のご機嫌をとっているが、やはり「産経」は大人である。政府のエネルギー・環境会議が出した30年の原発比率の割合を「0%」「15%」「20~25%」とする3つの選択肢にしても、「えい、やっ!」で決めた感じがして、それぞれの根拠がわからない。


 そもそも、2030年に原発ゼロとするのは、目標としてはいいが、じゃあ、代替エネルギーはどうするのかという議論が未成熟だ。15%にしても20~25%にするにしても、同じ事が言える。ただ、「原発が事故を起したらこわいんだぞー」「二度と住めなくなるんだぞー」「子供は放射線に弱いから、少しでも被爆させちゃダメよ」等といった原爆が爆発でもしたようなときの話をもってきて原発事故に置き換えて、B層を脅している反核学者やマスコミは許せない


 酷いのは「命あってこその・・・」「たかが電力のために、子供たちを危ない目にあわせては・・・」といったレベルの低いドラマのセリフみたいな言葉で、訴えている輩がいるということだ。B層は鵜呑みにするじゃないか。まともに信じて九州にまで逃げたら、今度は子供の幼稚園入園を断られたという、笑えないバカ話まである。


 「代替エネルギーは太陽光や風力など再生可能エネルギーにすればいい」というのが、菅内閣のブレーンの考えなんだろうが、この話に飛びつくのは、漫画を見て育った夢想少年少女層だ。何度も出して恐縮だが、このグラフを見てほしい。


いすけ屋のブログ

 

 これは2011年時のドイツの機種別発電容量と実際の発電量だ。多種多彩の発電様式を備え、分散化しているところは見習わねばならないが、例えば太陽光発電は全体の14.9%まで設備容量があるのに、実際の発電量は3.3%でしかない。日本に比べて比較的雨の少ないドイツでさえ、効率は2割でしかない。風力も設備容量は17.3%だが、風資源は豊かなのに発電量は8.0%で半分以下である。一方原子力は7.2%まで減らしたが、実際は17.6%使っている。これはフランスの原子力を使ったためで、表向き脱原発と威張ってても、実際とはこんなにも違うということだ。


 だが現実の日本では、原発ゼロを求める声が大きい。(とマスコミは伝えている) 何故そうなったのか。それは、福島原発事故を政府が誇大に格付けし、マスコミがさらにバイアスをかけて危険を煽ったからだ。マスコミは正しい認識の学者に対しては「原子力ムラ」扱いして彼等の発言を封じ、ICRPおよびLNT仮説を未だに使用する学者のデマゴーグを信じ、その風説を流したからだ。純情な何も知らない人々は、すっかりこのデナゴーグに取り込まれたのだ。


 金曜デモは、脱原発デモかと思っていたが、どうやら反野田政権デモでもあるらしい。ならば、私も賛成だ。この行動を民意の表れだと喜び、ご自身でも参加したと言う勝谷誠彦氏はそのブログでこう書いている。


 <キャスターは「原発に反対する人々が」と言った。「違う」と私はただちにスタジオで断じた。「原発に反対する人々」だけではとてもではないがコンセンサスを作ってあそこにあれほどの人々が集うことはない。まさにみんなが口にしている「再稼働反対」が共通のテーマであって、その手順そのものに対して多くの人々が立ち上がったのだ。「反原発」から「卒原発」あるいはひょっとして「一部原発容認」の人も加わっているだろう。それは行ってみればすぐにわかることだ。


 まさにその分析は正しいだろう。脱原発の一歩奥へ踏み込めば、意見は様々だろう。勝谷さんは「再稼働反対」派だが、プラカードを見る限り、いろいろのようだ。小異をすてて大同につく。その間は金曜デモは続くかもしれないが、最後は分裂してゆくものだと思う。ただし、私は、脱原発には賛成できない。食えなくなったら、きれいごとでは済まされない。私は、そういった経験をしてきているからだ。