無罪判決でも犯罪人扱い報道   
小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要   
(日刊ゲンダイ04月28日)


小沢一郎の復権は許さないとか控訴をそそのかす大マスコミはなぜいつまでも彼の排除追放を煽るのか   


 小沢元代表は、大新聞テレビを訴えた方がいいんじゃないか。そうでないと、連中は懲りない。この謀略報道の洪水は止まりそうにない。


 検察のガセ情報をさんざんタレ流して小沢の政治生命を抹殺したぐせに、無罪判決が出だ後も、『それでも残る疑惑』だの『国会で説明責任がある』と書き立てている大マスコミ。中には、『ほとんど有罪』の大きな見出しを掲げたり、識者のコメントを使って指定弁護士に『控訴しろ』とそそのかす記事もある。こうなるともう完全な人権侵害だ。人物破壊だ。


 どうして、そこまでして狂ったように小沢を葬りたいのか。一体、大新聞テレビはだれの回し者で凶器を振り回しているのか。


 そもそもこの小沢裁判は、『無罪判決』の中身を論評する以前の問題である。その価値もない。起訴したこと白体が疑惑、間違いだったのだ。


 政権交代直前の09年3月、地検特捜部は小沢の元秘書を突然、政治資金収支報告書の『記載ミス』という微罪で逮捕し、その立証が困難とみるや、別の秘書を立で続けに逮捕。収支報告書の『記載ミス』は無数にあるのに、小沢以外の政治家には目もくれず、執拗に小沢を狙い、失脚をもくろんだ。


 当初、特捜部は「ゼネコンからの裏献金があるに違いない」 「小沢をやれる」と “妄想”を抱いて突っ走ったが、結局、何もナシ。すると、今度は、デッチ上げの捜査報告書を作って検察審査会(検察審)の審査員を“誘導”。ムリヤリ、小沢を『強制起訴』させたのが経緯だ。


 検察が勝手に筋書きを描き、見立てに沿う作文調書を作り、それでも起訴がムリなら検察審を使う――。どう考えても不当不法。こんなデタラメ捜査手法、起訴が許されたら、司法はどんな冤罪もデッチ上げられる。民主主義国家じゃなくなってしまうのだ。


 元毎日新聞記者で、政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。


 「民主主義国家には基本的人権を守るためのルールが決められています。つまり、適正、適法な手続きです。ところが、今回、検察の捜査手法は無法の積み重ねで、検察審の審査内容はいまだに分かりません。つまり、適正、適法な手続きとは到底、言えないのです。『小沢氏ならいいだろう』と軽くみるムードもありますが、有権者の負託を受けた政治家だからこそ、より慎重な手続きが必要なのです。今回のような捜査手法、起訴が許されるなら、誰でもすぐに犯罪者にされてしまう。大変、恐ろしいことです」


 小沢事務所が問われた取るに足らぬ政治資金の記載ミスに比べ、検察、裁判所がやってきたことは数倍、数十倍も悪質なことなのだ。


その批判もなく小沢は実質有罪、政治的けじめをつけろと叫ぶ大マスコミの狂気   


 その意味で、小沢事件は司法の信頼の根幹を揺るがし、ゾッとする検察官による捜査報告書の捏造まで明るみに出た。


 それなのに、大マスコミは批判の矛先を司法権力に集中させようとしない。


 〈結論はシロだが、「潔白」ではなく「灰色」という司法判断〉 (読売社説)、〈裁かれたのは、私たちが指摘してきた 小沢問題」のほんの一部でしかない〉 (朝日社説)などと、改めて小沢を責め立てる。本末転倒だし、トチ狂っているとしか思えない。


 そもそも大マスコミの小沢追及の論調はブレまくってきた。もはや一行も触れようとしないが、批判の出発点は「ゼネコンからの裏ガネ」だった。


 ところが、今は「収支報告書は秘書任せ」 「秘書への監督責任」のみをあげつらう。実にチンケな話で、小沢の「道義的責任」 「政治的責任」 「国会での説明責任」を仰々しく糾弾するのだ。


 振り出しの「ゼネコンからの裏ガネ」はどうなったのか。小沢に「収賄」の嫌疑をかけた特捜部の「小沢との全面戦争」は、とっくに検察の敗北でケリはついている。


 検察は一蓮の捜査で70社近くのゼネコンを絞り上げたが、出てきたのは不可解な「水谷建設からの1億円」だけ。捜査に参加した元検事の前田恒彦受刑者(証拠改ざん事件で有罪確定)は、小沢公判でこう証言した。


 「佐久間達哉特捜部長 (当時)は、胆沢ダムを受注した元請け・下請けのゼネコンごとに、〇〇社が1億、××社が2億と夢みたいな妄想を語っていたが、現場は厭戦ムードが漂っていた」


 水谷からのカネだって、「石川議員を調べた吉田正喜副部長(当時)も、田代政弘検事も『アレはないんじやないか』との心証を抱いていた」


 (前田受刑者)という。小沢が問われた政治資金規正法違反事件は、検察の妄想捜査の残りカスをかき集めたに過ぎないのだ。


 「それも今回の無罪判決によって、小沢氏を罪に問える材料は全て消えたのです。だから、メディアは『政治とカネ』や 『道義的、政治的責任』という漠然とした言葉で責めるしかない。検察と一体になって『小沢はワルだ』とあおった非を認めようとせず、悪あがきを続けているだけです。朝日新聞は社説で『政治的けじめ、どうつける』と小沢氏に迫りましたが、けじめをつけるべきは朝日の側であり、小沢バッシングに狂奔した全メディアです」 (元NHK記者で評論家の川崎泰資氏)


 その朝日は「報道検証」と称して、「本紙は有罪決めつけていない」 「検察リークありえない」と自己弁護していたが、ゴタクを並べるのは、どうでもいい。朝日はじめ、大マスコミは 「小沢報道は全部ウソでした」と謝罪する必要がある。




いすけ屋


 もともと、「日刊ゲンダイ」は左巻きで、小沢擁護の新聞だ。それでも小沢嫌いの人にとっては、随分腹の立つ記事だろうが、これが真実である。もっとも、大マスコミが小沢に反旗を翻すのは、小沢さんが『記者会見のオープン化』『クロスオーナーシップ』に踏み込もうとしているからで、小沢総理が誕生すれば、確実に実行される


 『記者会見のオープン化』は、小沢さんの記者会見ではすでに実施されていて、フリーの記者も記者会見に参加でき、質問もできる。これに記者クラブが従来の特権を奪われると危機感を抱き大反対している。しかし、特定の大手だけを参加させる記者クラブ制度は日本だけだ


 『クロスオーナーシップ』とは、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすことをいう。従って本来、マスメディア集中排除原則の観点から、新聞業と放送業などメディア同士は距離を持つべきとされる


 日本では総務省令(放送局に係る表現の自由享有基準)にクロスオーナーシップを制限する規定があるが、一つの地域でテレビ・ラジオ・新聞のすべてを独占的に保有する状態を禁止する条項であるため、複数のテレビ・ラジオ局がある地域で一つのメディアグループがこの3つの媒体をすべて所有する事は事実上妨げられない


 そのため、フジ・メディア・ホールディングスがフジテレビジョン・ニッポン放送(ラジオ局)・産業経済新聞社(産経新聞)を、日本経済新聞社がテレビ東京と日経ラジオ社(ラジオNIKKEI=短波放送ラジオ局)を所有する事が可能となっていた


 ヨーロッパ先進国やアメリカ合衆国では「クロスオーナーシップ」を制限・禁止する制度や法律が既に制定されている


 日本では「クロスオーナーシップ」が温存されているが、2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣の原口一博総務大臣(民主党)が外国特派員協会での会見で「クロスオーナーシップ」禁止の法制化を行うと発言した。


 しかし、これに対し各新聞社は強く反発し、日本新聞協会はインターネットの普及などでメディアが多様化した事などを理由にクロスメディア規制の撤廃を求める意見書を同年3月1日に総務省へ提出した。原口総務相はこれを押し切り、3月5日には事実上形骸化している現行のクロスオーナーシップ規制について3年後の見直し規定を盛り込んだ放送法や電波法などの改正法案が閣議決定されたが、同年6月に鳩山政権は総辞職して菅直人内閣が成立し、7月の参議院選挙で民主党が大敗して与党が過半数を失った事で、野党の自由民主党が反対するクロスオーナーシップ規制の法制化は目処が立たなくなった


 このような経緯は報道されないから、たいていの人は御存知でないだろうが、マスコミの小沢嫌いは、『記者会見のオープン化』および『クロスオーナーシップ』の見直しにある。この辺の事情はフリーのジャーナリスト、例えば『田中龍作ジャーナル』http://tanakaryusaku.jp/   に詳しく載っている


 テレビも新聞も、上からの命令で、「小沢を叩け」と言われているから、各社が同じような報道をする。戦後日本人は、テレビや新聞をまるまる信じているから、簡単に騙される。石原知事、自民党議員とて、この件では同類項だ。そろそろ、皆さんも賢明になってほしい。マスコミを信じるな!