上司に小沢一郎叩き命じられた記者「上司の感覚ずれてる」
   
2012.04.18
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120418/plt1204181601005-n1.htm


 小沢氏の「政治とカネ」問題には、検察と大マスコミが作り上げた虚構があまりにも多い。その最たるものは水谷建設元社長による5000万円受け渡し証言である。小沢氏の秘書である石川知裕氏に元社長が現金を渡す現場のやりとりを複数の関係者が証言したと朝日新聞やTBSが報じたが、その後、他メディアの後追いはおろか、続報も全くない。


 明らかな誤報もあった。検察が押収した石川氏の手帳の記載内容について、5000万円授受が行なわれたとされる2004年10月15日の欄に、受け渡し場所のホテル名が記載されていると共同通信(2010年1月25日付)が報じ、読売と日経が追随した。が、実際にホテル名が記されていたのは2005年4月で、さすがに3社とも記事の訂正・削除をせざるを得なかった。


 このように、検察リークによる「誤報」を連発した果てに定着したのが、「政治とカネ」という言葉である。過去30年にもわたる全国紙5紙の過去記事を検索したところ、「政治とカネ」が使われたのは約2万件。驚くことに、そのうち実に1万4000件がこの5年に集中し、うち約半数を小沢報道が占めている。その理由を、元読売新聞社会部のジャーナリスト・大谷昭宏氏はこう分析する。


 「現状では小沢氏を罪に問える材料は何もなく、事件取材をしている現場記者たちは、無理筋だと分かっている。だから、これまでの犯罪報道なら『贈収賄』や『闇献金』という具体的な容疑で書くのが原則のところを、『政治とカネ』という漠然とした言葉にせざるを得ない。


 とにかく小沢氏に疑惑をかぶせて批判したいというだけの恣意的な報道です。ある現場の記者は、『デスクなど上司からは小沢の悪い記事を書けと要求されるが、何も容疑がないのになぜ悪く書けというのか。上司の感覚のほうがずれている』と嘆いていた」


 大谷氏の古巣、読売新聞の2011年2月1日付朝刊は、一つの記事で「政治とカネ」という言葉を3回も使った上で、さらに政治学者・御厨貴氏のこんな談話を載せている。


 〈「政治とカネ」への国民の視線は厳しくなり、(小沢氏は)政権交代の最大の功労者にして、最も罪深い人となった。強制起訴は小沢元代表の「終わりの始まり」で、仮に無罪になっても元に戻ることはないだろう〉


 「仮に無罪になっても」、「最も罪深い人」なのだから、推定無罪の原則は小沢氏には適用されないらしい。

 ※週刊ポスト2012年4月20日号






いすけ屋


 これでも小沢さんは、日本で最初に「普通の国」にならなければならないと言った政治家である。どうも自民党幹事長時代、次の総理候補3人を呼びつけてから、小沢さんの人気は急変したようだが、その後自民党を飛び出し、細川内閣を作った。「普通の国」論は平成5年の「日本改造計画」に書かれたもので、私は少なからずショックを受けた。それまでは憲法9条は日本の誇りであり、自衛隊は専守防衛だから海外に出てゆく必要は無いと、思いこんでいたからだ。


 どちらかというと「左巻き」だった自分が、この本を読んで、急に恥ずかしくなった。いかに日本が普通で無かったか。「なんでだろう?」と言う事で、日本の近現代史を勉強し、なぜ日本が負けるとわかっている戦争に突っ込んでいったのか?という昔からの疑問にも答えが見つかったし、韓国台湾中国の経緯にも日本が大きく影響を与えてきたことも理解できた。言ってみれば20年足らずの即席保守である。


 小沢さんには、「日本改造計画」以来、多大な期待をかけていたが、例の中国訪問、韓国講演、天皇陛下の会見30日ルールを破った時には、カクンと肩すかしを食った感じであった。ただし、報道が伝える「政治=カネ」に絡んだ数々のゴシップは信用していない。植草一秀氏や佐藤優氏の国策捜査とそれに伴う大手マスコミのデタラメ報道を知っているので、これら一連の報道も、誰か黒幕がいるバッシングだと、すぐに分かったからだ。


 上記にあるようなことは、大手メディアでは当たり前になっている。また、これだけ毎日「小沢=悪」を報道されると、報道がほんとのように思い、目論見通り、皆も小沢嫌いになり、今回の事案のような、注意して修正すれば済むような事を天下の裁判にかけて争っている。公費の無駄使いだ。


 あと、少し長くなるが、小沢さんの考え方がわかる、「日本改造計画」の〔まえがき〕を以下に引用する。未読で興味のある方には読んで貰いたい。




まえがき  


 米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。コロラド川がコロプト高原を刻んでつくった大渓谷で、深さは千二百メートルである。日本で最も高いビル、横浜のランドマークタワーは、七十階、二百九十六メートルだから、その四つ分の高さに相当する。

 ある日、私は現地へ行ってみた。そして、驚いた。


 国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見当たらない。日本だったら柵が施され、「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり、公園の管理人がとんできて汪意するだろう。

 私は想像してみた、

 もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。観光客が来るのに、なぜ柵をつくらなかったか、なぜ管理人を置かないのか、なぜ立札を立てないのか――。だから日本の公園管理当局は、前もって、ありとあらゆる事故防止策を講ずる。いってみれば、行動規制である。観光客は、その規制に従ってさえいれば安全だというわけである。


 大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。

 この状況は、事故防止の話だけではない。社会全体についていえる。


 たとえば、バブル経済の時代、「経済一流、政治三流」ということばが流行語になった。政治の世界に籍を置く者として、内心忸怩たるものがあった。確かに、日本企業、か世界に破竹の勢いで進出していた半面、政界はりーダーシップが不在で、混迷していたからだ、

 しかし、バブル経済が弾けたいまはどうか。一流のはずの経済が、三流のはずの政治に、救いを求めてきている。

 戦後の日本企業は、正確にいえば明治時代からだが、護送船団方式に象徴方れる政府の保護・管理政策によって成長してきた。互いに競争することはあっても、それは、自由競争ではなく、制限された土俵内での競い合いにすぎなかった。そこには、自己責任の原則は貫かれていない。「一流の経済」が自分ではバブルの後始末もできず、「三流の政作」に救済を求める理由は、そこにある。しかも、その救済策は保護・管理の拡大にほかならない。


 なぜ、日本の社会は、このように規制を求める社会なのか。

 断っておくが、私は、規制を求める社会が間違っている、というのではない。社会のあり方の問題としては、正しいとか間違いとかいうものはない。日本には日本の歴史と伝統に基づく社会のあり方がある。日本人が規制を求めるのは、日本社会の特性に原因がある。


 日本の社会は、多数決ではなく全会一致を尊ぶ社会である。全員が賛成して事が決まる。逆にいえば、一人でも反対があれば、事が決まらない。

 こういう社会であくまでも自分の意見を主張するとどうなるか。事が決められず、社会は混乱してしまう。社会の混乱を防ぐには、個人の意見は差し控え、全体の空気に同調しなければならない。同調しない者は村八分にして抑えつけられる。その代わり、個人の生活や安全はムラ全体が保障する。社会は個人を規制し、規制に従う個人は生活と安全が保証される、という関係だった。


 個人は、集団への自己埋没の代償として、生活と安全を集団から保証されてきたといえる。それが、いねば、日本型民主生義の社会なのである。そこには、自己責任の考え方は成立する余地がなかった。日本で社会と個人のこういう関係が成り立ってきたのは、一部の例外を除いて外部との交渉の歴史を持たない同質社会だったからだ。

 その社会を変革しようとしたのが明治時代だった。この時代に、日本は初めて海外に門戸を開いた。 欧米型の民主主義の理念も初めて導入した。


 しかし、大正から昭和に入るや、政党政治の終焉と軍部の台頭という流れの中で、日本は再び同質社会特有の独善的な発想に陥った。この傾向は敗戦後も、冷戦構造の下で温存され、今日に至った。

 しかし、いまや時代は変わった。日本型民主主義では内外の変化に対応できなくなった。いまさら鎖国はできない以上、政治、経済、社会のあり方や国民の意識を変革し、世界に通用するものにしなければならない。


 その理由の第一は、冷戦構造の時代のように、自国の経済発展のみに腐心してはいられなくなった。政治は、経済発展のもたらした財の分け前だけを考えていればよい時代ではない。世界全体の経済や平和を視野に入れながら、激変する事態に機敏に対応しなければならない。世界の経済超大国になってしまったわが国の責任は、日本人が考えている以上に大きい。

 第二は、日本社会そのものが国際社会化しつつある。多くの日本人が国際社会に進出し、多くの外国人が日本社会に入って来ている。もはや、日本社会は、日本型民主主義の前提である同質社会ではなくなりつつある。


 どのように変革するか。

 第一に、政治のリーダーシップを確立することである。それにより、政策決定の過程を明確にし、誰が責任を持ち、何を考え、どういう方向を目指しているのかを国内外に示す必要がある。


 第二に、地方分権である。国家全体として必要不可欠な権限以外はすべて地方に移し、地方の自主性を尊重する。

 第三に、規制の撤廃である。経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする。


 これら三つの改革の根底にある、究極の目標は、個人の自立である。すなわち真の民主主義の確立である。

 個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできないのである。


 人々はいまだに「グランド・キャニオン」の周辺に柵をつくり、立入厳禁の立札を立てるよう当局に要求する。自ら規制を求め、自由を放棄する。そして、地方は国に依存し、国は、責任を持って政治をリードする者がいない。

 真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない。その意味では、国民の“意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。


 そのためには、まず「グランド・キヤニオン」から柵を取り払い、個人に自己責任の自覚を求めることである。また、地方に権限を移すことによって、地方の自立をうながすことである。さらに、政治のリーダーシップを確立することで、政治家に政治に対する責任を求め、中央の役人には、日常の細かな許認可事務から解放することで、より創造的な、国家レベルの行政を求める。

 これらによってはじめて、個人は組織の駒としてではなく、自由な個人として自己を確立していく。自己の確立、民主主義の確立が進めば、さらに改革は進むであろう。


 本書は、そういう祈りにも似た気持ちで書き下ろした。

 本書をまとめるにあたっては、大勢の各方面の専門家の方々から二年間にわたって協力をいただいた。混迷する現在の政治状況において、改革の指針となれば、この上もない喜びである。

平成五年五月  小沢一郎