社説 尖閣買い上げ―石原発言は無責任だ
   
4月18日付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1


 石原慎太郎・東京都知事がきのう、米・ワシントンで、沖縄県の尖閣諸島を都が購入する計画だと明らかにした。日本の領土なのに、中国が領有権を主張している島々だ。


 知事は「東京が尖閣諸島を守る」と語った。中国に四の五の文句など言わせるものか、という態度である。


 こんな知事発言に、インターネット上では拍手を送る書き込みがあふれている。


 確かに、知事の発言には本人をはじめ、中国の対応を不快に思ってきた人々の留飲を下げる効果はあるだろう。だが本来、政治家の仕事は複雑に絡み合った懸案を、一つひとつ丁寧に解決していくことだ。


 それに、そもそもこれは東京都の仕事ではないはずだ。


 知事は「島々を舞台にしてさまざまな施策を展開する」という。けれど、日本人が上陸しただけで反発してくる中国のことだ。問題はいっそうこじれるだろう。


 そうなった時、首都とはいえ自治体の長の石原氏に、領土が絡む問題を解決する手だてはない。政府の外交に悪影響を与えることを承知で大風呂敷を広げるのは、無責任としかいいようがない。


 尖閣諸島といえば、一昨年9月、中国の漁船が日本の巡視船に衝突してきた事件があった。


 この3月に、双方の政府が周辺海域の無人島に新たな名前をつけてからは、中国の監視船などが領海侵入といった挑発的な活動を続けている。


 さらに、石原発言を受けて、中国国内では、政府に強硬な対応を求めるネット世論が噴出している。


 私たちは、こうした中国側の対応にも自制を求める。日中両国民がお互いに批判しあって、何か得るものがあるのか。


 体制が変わったばかりの北朝鮮への対応でも、日本と中国との連携は欠かせない。国交正常化40年を迎える隣国同士でもある。こうした両国の関係を、石原氏はどう考えているのか。


 そもそも、都民の税金を使って島を買うことの説明がつくかも疑問だ。都議会に予算案を提出するというが、そう簡単に理解が得られるとは思えない。


 石原氏には、新党構想が取りざたされている。その折から、税金を使って選挙向けのパフォーマンスをしているようにも見える。


 藤村官房長官はきのうの記者会見で、国が購入する可能性を否定しなかった。東京都よりも外交を担当する政府が所有する方が、まだ理にかなっている。




若宮啓文「風考計」
  竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想
   
(2005/03/27)
http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200503270067.html


 (前略)


 例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。


 見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける――。


 島を放棄と言えば「国賊」批判が目に浮かぶが、いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。


 (後略)




【社説】
 「尖閣」石原発言 都税は暮らしのために
  
2012年4月18日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012041802000140.html


 石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島の一部を都が購入する考えを表明した。政府の対中外交姿勢に一石を投じる狙いだろうが、都が買う必然性はあるのか。都民の税金は暮らしのために使ってほしい。


 仰天発言は米首都ワシントンで飛び出した。購入対象は尖閣諸島五島のうち、最大の魚釣島、北小島、南小島の三島。いずれも民間人が所有し、現在は日本政府に貸与している。


 都が所有者との間で土地売買に関する基本合意に達したのは昨年末だという。石原氏が直ちに発表せず、購入表明の場に米首都を選んだのは、尖閣問題を国際的に周知させる狙いがあったのだろう。


 つまり、中国が「日本の尖閣諸島の実効支配をぶっ壊すため、過激な運動をやりだした」現実があり、実効支配を守るためには「本当は国が買い上げたらいい」が、「外務省はビクビクしている」から「東京が尖閣諸島を守る」と。


 大前提として尖閣諸島は日本固有の領土であり、実際に日本が実効支配している。同時に、領有権を主張する中国が経済発展とともに海洋権益確保の動きを強め、尖閣周辺で日本の領海を侵犯する事案も増えている。


 こうした中国に対する民主党政権の外交姿勢が、石原氏には弱腰に映るのであろう。国がやらないのなら自分がという、かつて「タカ派」議員としてならした政治家としての自負が見え隠れする。


 ただ、尖閣を守るのは政府の仕事であり、外交は政府の専権事項だ。尖閣を個人ではなく、国、尖閣のある沖縄県や石垣市などの関係公共機関が管理することが望ましいことは理解するが、なぜ東京なのかという疑問は拭えない。


 都知事の第一の仕事は都民の暮らしを守ることだ。国益を守ることが都民の暮らしを守るという理屈は成り立たなくもないが、都の貴重な税金は子育て環境の充実など身の回りのことに使ってほしいと願う都民は多いのではないか。


 田中角栄、周恩来両首相は尖閣問題を棚上げして国交正常化を果たした。自民党政権時代には中国が日本の実効支配を黙認する代わりに日本も中国の体面を汚さない黙契があったとされる。


 中国の海洋進出から尖閣の実効支配を守るには、領土領海領空を守る毅然(きぜん)とした態度はもちろん欠かせないが、中国世論をいたずらに刺激することは逆効果ではないか。外交問題を複雑化させない知恵の歴史に学ぶことも必要だ。





いすけ屋


 この朝日新聞の社説、中日新聞の社説では、どうも石原さんの言動がお気に召さないようだ。尖閣諸島が民有地で、政府がこれを借り上げて、上陸を許していない現在の姿は異常である。何のために上陸許可を出さないのかというと、単に中国様に気を使っているからである。その政府と同じように朝日新聞、中日新聞は社説で、都税は都民のために使えと、もっともらしい事を言って、日本人の国民性をバカにしている。必ずや愛国心のある日本人は、カンパに参加する。東京都だけに迷惑をかけるわけにはいかないと感じている。左巻き社説子さんよ、日本人をなめたらいかんぞ。それに若宮啓文は「竹島を韓国にゆずったら?」とまで言っている。オイオイ朝日新聞はほんとに日本の新聞社かよ?


 石原さんは別に自ら進んで買収の話を地権者に持っていったのではなく、地権者の方から石原さんなら信頼できるとして、譲渡の話があったのである。ここまで地権者氏は政府に対して強烈な拒否反応を示していたので、自民党政権でも買い上げる事は出来なかった。民主党は先ごろ、尖閣諸島周辺のの島嶼に名前をつけ、国有化を図ったが、肝心の個人所有である南小島、北小島、魚釣島、久場島の4島は買収出来なかった。何故なら、先の尖閣事件で民主党政権の対応を見て、「とても政府には任せられない」と、地権者氏が感じたからである。以下に尖閣諸島の経緯を示しておく。


 尖閣諸島は、わが国の領土である南西諸島西端に位置する魚釣島、北小島、南小島、久場島(黄尾嶼)、大正島(赤尾嶼)の沖の北岩、飛瀬などからなる島々の総称で、尖閣諸島の総面積は約6.3平方キロメートルで、富士の山中湖を少し小さくしたくらいであり、そのうち、一番大きい島は魚釣島で約3.6平方キロメトールある。


 この尖閣諸島は、昔カツオブシ工場などがあり、日本人がある時期住みついたこともあるが、現在は無人島となっている。ところが、昭和43年(1968年)秋、日本、中華民国、韓国の海洋専門家が中心となり、エカフェ(国連アジア極東経済委員会)の協力を得て、東シナ海一帯にわたって海底の学術調査を行った結果、東シナ海の大陸棚には、石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘されると、これが契機になって、尖閣諸島がにわかに関係諸国の注目を集めることになり、さらに、その後、中国側が尖閣諸島の領有権を突然主張しはじめ、新たな関心を呼ぶこととなった。


 昭和45年(1970年)後半になって、台湾の新聞等は、尖閣諸島が自国の領土である旨主張し始めるとともに中華民国政府要人も中華民国の議会等で同様の発言をしている旨報道されたが、中華民国政府が公式に尖閣諸島に対する領有権を主張したのは昭和46年(1971年)4月が最初であり、他方、中華人民共和国も同年12月以降に初めて尖閣諸島は中国の領土であると公式に主張しはじめた。


 このように、尖閣諸島の領有権問題は、東シナ海大陸棚の海底資源問題と関連して急に注目をあびた問題であり、それ以前は、中国を含めてどの国も尖閣諸島がわが国の領土あることに異議をとなえたことはなかったのである。


 尖閣諸島は「無主地先占」という国際法上の合法的な行為によって平和裡にわが国の領土に編入されたものであって、日清戦争の結果、明治28年5月に発効した下関条約の第2条で、わが国が清国から割譲を受けた台湾(条約上は「台湾全島及其の附属諸島嶼」となっている。)の中に含まれるものではない。


 また第2次大戦中、1943年(昭和18年)には、英・米・華の3主要連合国は、カイロ宣言を発表し、その中でこれら3大同盟国の目的は、「満州、台湾及澎湖諸島ノ如キ本国ガ中国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還」することにあるという方針を明らかにしていたが、わが国も、1945年(昭和20年)8月15日ポツダム宣言を受諾し、9月2日降伏文書に署名したことにより、これを方針として承認するところとなった。 カイロ宣言において示された主要連合国のこのような方針は、やがてわが国と連合国との間の平和条約の締結に当たり、実際の領土処理となってあらわれ、戦前のわが国の領土のうち、戦後も引き続きわが国の領土として残されるものと、もはやわが国の領土でなくなるものとが、法的に明らかにされた。


 即ち、サン・フランシスコ平和条約においては、カイロ宣言の方針に従ってわが国の領土から最終的に切り離されることとなった台湾等の地域(第2条)と、南西諸島のように当面米国の施政権下には置かれるが引き続きわが国の領土として認められる地域(第3条)とが明確に区別された。


 また、サン・フランシスコ平和条約に基づく右のような領土処理は1952年8月に発効した日華平和条約第2条においても承認され、なお、尖閣諸島が第2次大戦後も引き続きわが国の領土としてとどまることになったことに対しては、後で詳しく述べる通り、中国側も従来なんら異議をとなえなかった。


 このように尖閣諸島を含む南西諸島は講和後も引き続きわが国の領土として認められ、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき20年間にわたり米国の施政の下に置かれてきましたが、昭和46年6月17日に署名されたいわゆる沖縄返還協定により、昭和47年5月15日をもってこれらの地域の施政権がわが国に返還された。(同協定によって施政権が返還された地域は、その合意された議事録において緯度、経度で示されていて、尖閣諸島がこれに含まれていることは明白である。)


 以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位をきわめて明瞭に物語っているといえる。


 また、中国側が尖閣諸島を自国の領土と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政の下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実(昭和28年12月25日の米国民政府布告第27号により緯度、経度で示されている。)に対して、従来なんら異議をとなえなかったことからも明らかである。のみならず、先に述べたように、中国側は、東シナ海大陸棚の石油資源の存在が注目されるようになった昭和45年(1970年)以後初めて、同諸島の領有権を問題にしはじめたにすぎないのである。


 現に、台湾の国防研究院と中国地学研究所が出版した「世界地図集第1冊東亜諸国」(1965年10月初版)、および中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版)(第2図)においては、尖閣諸島は「尖閣群島」というわが国の領土であることを前提とする呼称の下に明らかにわが国の領土として扱われている。



 (これら地図集および教科書は、昨年に入ってから中華民国政府により回収され、尖閣諸島を中華民国の領土とし、「釣魚台列嶼」という中国語の島嶼名を冠した改訂版(第3図)が出版されている。)



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