宮崎正弘の国際ニュース・早読み    
       平成23年(2011)6月7日(火曜日)
         通巻第3343号   


(読者の声6)先に、ラッキー博士の低放射線有益論の日本語訳をご案内しました。


 今回は、その第2弾として「放射線廃棄物による健康増進」の日本語訳をしましたのでご案内します。ご希望者にはPDFファイルをお送りします。


 原文は http://www.inderscience.com/storage/f712581046139112.pdf
"International Journal of Low Radiation" 誌 Vol.5, No. 1, 2008 に掲載されているものです。もともとは2007年11月14日、横浜で行われた国際シンポジウムで発表されたものです。同じ年11月17日には、東京理科大で「低レベル放射線のバイオポジティブ効果について」と題する講演で重複する内容を述べていますが、小島周二教授訳で日本アイソトープ協会発行の  Isotope News 2008年5月号に掲載されています。

 低放射線が健康増進につながることを実証する論文は3000を数えていて疑問の余地はないことがまず示されていますが、さらに議論を進め、放射線は約40の生命維持に必要な要素物質の一つであること、そして一般的に言って、人間にとって不足した状況にあると結論付けています。


 核施設で働く労働者800万人年の被曝データとガン死亡率との関係が一般の人々との比較を示すグラフ6は8つ研究結果を載せていますが、明確に核施設労働者の方が、一般の人よりもガン死亡率が低くなっていることが示されています。

 50ミリシーベルト/年ですと、一般人の40%以下となります。
アメリカのコーエン博士がラドン濃度を上げた家庭70万世帯の肺ガン死亡率を調べた結果のグラフ7で、明らかに濃度を上げていくと死亡率が低下していることが示されています。40ミリシーベルト/年に当たる濃度ですと、低濃度の30%くらいの死亡率に低下します。


 では最適値についてはどうかというと、グラフ5で、60ミリシーベルト/年という数字を外挿法によって示していますが、むしろ100ミリシーベルトが実際的だろうといっています。閾値、すなわち益と害とを分つ値ですが、8シーベルト/年という数字が、グラフ2によって示されています。いずれにしても、


 ラッキー博士は日本への提言の意味を込めた論文"Biological Effect of Ionizing Radiation" という論文を "Journal of American Physician and Surgen" に寄稿し、先週発表されました。これは Yahoo News 6月1日付で取り上げられています。この論文も近々日本語訳してご案内します。
(茂木弘道)




いすけ屋


 4月22日にも茂木弘道氏の第1弾を紹介したが、今回は一歩進んで「放射線廃棄物による健康増進」についてである。そのうち論文の日本語訳が発表されるそうだが、楽しみである。


 そもそも、20ミリシーベルトで大騒ぎしている根拠は、LNT仮説(放射線は少量でも浴びない方が安全)というデータのない情緒理論である。反原発派が1945年より糧にしている空論であり、後ろ盾つまりバックデータがないから「仮説」なのだ。これに日本人は長きにわたり洗脳され、9条信者の「反核」が長じて「反原発」となり、今の必要のない不安を煽っている。


 ドイツが性懲りも無く、’22年までに原発を全廃すると決めた。それまで10%節電で耐えるそうだが、これでドイツのGDP下落が決まったようなものだ。それほど電力量はその国の総生産のカギを握っている。これまでも自然エネルギー変換を目指してきたのに、昨年夢破れて原発推進に切り替えたところだった。


 まだドイツは最後の最後はフランスから原発の電力を買えばよい。しかし日本は最後まで日本自身で必要電力を起こさなければならない。自然エネルギーは補助的には必要ではあるが、決してメインには成り得ない。


 屋根の上のソーラーパネルはまだいいとして、休耕田いっぱいに、これが並んだら、環境破壊もいいとこだ。田面の果たす数々の環境要素が破壊され、洪水量は増えるし、水田の生態循環も壊される。風力発電も、仮に海上に追いやっても、やはり漁業にとって有害である。


 今回の事故で、これまで原発推進派だった人まで、反原発派になってしまったのは、やはり放射能の扱いにくさというか、コントロール出来ない点にあると思う。しかし、漏れた放射線について研究が進み、しきい値がある事がわかってきた。低線量なら、かえって健康にいいという研究まで出てきたのだ。こちらはデータがある。情緒的推論ではない。


 いつまでも風説に流されるのは止めにしたいものだ。