菅“KY”発言要旨「お遍路続ける約束は…」
   
2011.06.02
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110602/plt1106021629009-n1.htm


 この大震災の中、私に不十分なところがあったことが、こういうときに不信任案が出されたことになったと思う。皆さんにご迷惑をおかけしたことをあらためておわびしたい。


 いま私たちが置かれた状況は何としても大震災の復旧復興の道筋をつけていくこと。そして原発事故の収束にすべての力を結集しなくてはならない。被災者の方から「遅い」「不十分だ」と厳しい指摘をいただいた。私の指導力や考え方が不十分だった面も多々ある。


 私は皆さんの前で3つの目標に取り組んで行動していく。1つは原発事故の収束や震災の復旧に向けて全身全霊をあげて最大限の努力する。2つめはこの民主党を決して壊さない、壊してはならない、そういう観点に立って行動する。そして3つめにいまのわが党中心の政権を自民党に戻すことがないようにしっかり対応することを行動の基本において進めていく。


 いま総理大臣という極めて重い立場をいただいているが、その立場に立って責任をしっかり果たしていかなければならないと感じている。


 そうした中で大震災に最優先で取り組むことをやってきた。このことに一定のメドがつき、私がやるべき一定の役割を果たせた段階で、若い世代のみなさんにいろんな責任を引き継いでいただきたい。愛媛県の五十三番札所からお遍路を続けるという約束も残っているが、大震災や原発事故に一定のメドがつくまで責任を果たさせていただきたい。




いすけ屋


 これが、不信任案国会決議の前に開かれた民主党代議士会での菅さんの挨拶である。四国お遍路の話まで出してきているが、実はここに含みがあった。第五十四番目札所はその名も「延命寺」。しかし誰も読み解けず、勝手に辞める覚悟をしたんだと思い込んだのだ。「大震災や原発事故に一定のメドがつくまで責任を果たさせていただきたい」と言い、「その段階で、若い世代のみなさんにいろんな責任を引き継いでいただきたい」と、若手に色気を起こさせた。が、内心は「俺は絶対辞めない」だった。


 そのあと鳩山さんが挙手して発言を求め、不信任案に賛成する意見を述べるのかと思いきや、”復興基本法の成立、第2次補正予算案成立のメドがついた段階”での自発的辞任に合意したことを披露したうえで、「菅首相は重大な決意を申された。官邸での会談で、私は『身を捨ててほしい。職を辞してほしい』と申し上げた。菅首相には国難を救ってほしい」といい、出席した議員に対し、「一致して行動できるよう、お願いしたい」と、不信任案への反対をうながした。



 すぐさま腹黒もとい、原口元総務大臣が挙手し、今度こそ止めをさすのかと思ったら、「もう我々は自民党政治にもどしてはなりません」とやった。これで場内は静まり返った。かくして松木氏を除く民主党議員全員が一気に反対ムードになってしまったのである。


 国会決議を否認してからの菅さんは本音を披露した。原発の一定のメドとは、「放射能漏れがなくなり、冷温停止状態になり安定した時」という。これを聞いたポッポさんは「嘘をついたら駄目!」と怒ったらしいが、まずは簡単に騙された自分を恥じよ。やはり貴方は政治家には向いていない。SF小説でも書いていた方がいい。「自分がこう思うから相手もこう思っている筈だ」という思考回路は日本人のいい所でもあるが欠点でもある。余りにも人が良すぎる。まあ自分のつくった党を壊すには忍びなかったのかもしれないが・・。


 あまり報道されていないが、賛成派の流れを止めたのは、原口元総務相のひと言で、全員が「民主党」に帰ったことだろう。この時のムードは、中継を見ていた人ならわかると思う。


 結局、皆さん、被災地の事など眼中に無く、己の身分保全しか考えていなかったということだ。現実に、菅さんさえ退けば、野党も協力すると言っている。それだけで全てがうまくいった。なのに参議院のねじれがある限り、野党と協調していかねば法案は通らない。したがって野党の言い分もある程度呑まねばならない。こんな初歩的な事が出来ない政権では、対応が遅れて行くのも当たり前である。


 ここは党派を超えて挙国一致内閣で復興に当たらねばならない。この原点を考えれば、土壇場逆転等考えられなかったはずだ。国民は原発の冷温停止(来年の1月?)まで待てない。ガレキ処理だって縦割り行政を、総理の鶴の一声で一本化できるし、そうするのが権力者の仕事である。3か月もたって、このざまは、まさに菅内閣の無能の成す技に他ならない。