【社説】国史教育ではなく歴史教育が必要

http://www.chosunonline.com/news/20110218000040



 一昨日、「歴史教育必修化」をテーマとして国会図書館で行われた専門家懇談会で、出席者は「韓国の歴史教育の視野を広げなければならない」と口をそろえた。韓国史中心の歴史教育から抜け出し、世界の中の韓国の歴史を把握できるよう、教えなければならないという。ある出席者は「グローバル化した世界で生きる今日の韓国人が世界史を知らないというのは、羅針盤がない船に乗って航海するのと同じ」と語った。


 今年3月から高校で「韓国史」が選択科目化されると、歴史教育が事実上消えてしまうのではないか、という懸念の声があちこちから出た。しかし、ほとんどは「韓国史」の復活と強化を主張するにとどまり、何が世界化時代にふさわしい歴史教育なのかという議論にはつながらなかった。


 今までの韓国の歴史教育や、歴史教育強化を打ち出す昨今の主張は、一国の歴史は単独で存在するものではなく、周辺世界との作用の結果だという歴史の本質を見落としている。開港以後約50年間の韓国近代史は、世界の流れに疎かった当時の朝鮮と、軍事力・経済力を押し立てアジアに進出した世界の列強がぶつかり、そうして作り出された渦に巻き込まれて国を失ってしまった歴史だ。


 生徒たちがその歴史をきちんと理解するには、世界の列強がどのような意図で、互いにどのような協力と競争を繰り広げ、どれほど執拗(しつよう)に対決してきたかをまず知らなければならない。しかし、これまでの韓国の歴史教育は、東学と義兵の抵抗活動ばかりを浮き彫りにし、生徒たちの頭に注入してきた。中国共産党の「紅軍」の下で、金日成(キム・イルソン)指揮下のわずか100-200人程度の小部隊が、数十万の兵力を擁した日本の関東軍を追い払い、朝鮮を解放した-と教える北朝鮮の歴史教育は、その極端な例だ。これでは、歴史の原因と結果を把握できない。壬辰倭乱(じんしんわらん=文禄・慶長の役)と丙子胡乱(へいしこらん=1627年の後金の朝鮮侵略と1636-37年の清の朝鮮侵略)も、当時の朝鮮をめぐる日本や中国の情勢をきちんと理解できなければ、戦争の性格を理解するのは困難だ。


 このようなことになった大きな理由の一つは、国史学界の閉鎖的な学問風土だ。韓国のように、歴史学を国史・東洋史・西洋史に区切り、歴史を引き裂くケースは少ない。米国は、ほとんどすべての州で米国史と世界史を必修科目として教え、フランス・ドイツ・イギリスでも、自国史と世界史を統合した「歴史」を必修もしくは事実上の必修として教えている。次の世代を「井の中の蛙(かわず)」にしないようにするには、まさに「国史教育」ではなく「歴史教育」を行わなければならない。




いすけ屋



 韓国も変わったと言うか、成長したものだ。この社説は、「朝鮮日報2月18日」のものだが、なかなか良く出来ている。別に上から目線で言う訳ではないが、現状の韓国の歴史教育を素直に反省している。韓国史中心の歴史教育から抜け出し、世界の中の韓国の歴史を把握できるよう、教えなければならないという反省は、願っても無い事である。世界史的視野にたって韓国の歴史を紐解けば、必ずしも「日本悪し」という事にはならないだろう。



 そうであるなら、両国が歩み寄って歴史研究を重ね、共通の歴史観が得られるかもしれない。<生徒たちがその歴史をきちんと理解するには、世界の列強がどのような意図で、互いにどのような協力と競争を繰り広げ、どれほど執拗(しつよう)に対決してきたかをまず知らなければならない。>とあるように、重要なポイントを指摘しており、韓国自身がこの社説の主張するところを真摯に受け止めれば、日韓関係もさらに親密化するだろう。



 さらに進んで、伊藤博文の暗殺は間違いだったかもしれないこと、安重根を英雄扱いするのを見直す事が出来れば、上出来である。伊藤暗殺が無ければ、朝鮮併合は無かったかも知れないし、真摯に研究していれば李王朝の末期の酷さもわかる。抗日運動は民族自立の立場から、韓国人なら誇りに思って当然だし、日本人は理解も出来る。



 そして竹島はやはり日本領でしたと、返還すれば、集団的自衛権を有する日韓安保条約を結んだって構わない。要は韓国次第である。