コメンテーター、番組出演者から選挙出馬の流れに問題はないか
 

(日刊ゲンダイ 2月19日)


 どこまでコメンテーターを信じていいのか、疑問になってくる。朝ワイド「スッキリ!!」 (日本テレビ)に出て教育や福祉について発言してきた居酒屋チェーン、ワタミの渡辺美樹前会長が東京都知事選に立候補することを明らかにし、波紋を広げている。


 本人は全面否定しているが、指摘が多いのは選挙出馬をにらんでのレギュラー出演ではなかったかという声である。

 「スッキリ!!」に週1ペースで出姶めたのは2年ほど前からだ。経営者は本業だけでも手いっぱいの人が多いが、やたらテレビ出演回数を増やし、ワタミのCMに前会長自ら登場。出馬はテレビ出演とは関係なく、結果的なものだとしても、これまでの行動が選挙向けに知名度アップを狙ったものと疑われる余地はある。


 実際、同じような過程を踏んで政治家になった人もいる。日テレの人気番組「行列のできる法律相談所」からは橋下徹大阪府知事、丸山和也参議院議員の2人の弁護士が出演効果もあって当選した。

 そもそも事件や騒動で視聴者側に立って発言したり、意見を言うのがコメンテーターだが、最近は状況が変わった。井戸端会議の延長線上のような、どうでもいいコメントをし、不勉強丸出しのコメンテーター(とくに女性に多い)が目立つ。その延長線上に選挙出馬があるなら、視聴者軽視というしかない。


 「テレビ局はなぜその人物をコメンテーターとして起用したのか、選択理出を視聴者から問われたらすぐに答えられるシステムを作るべきではないか。コメントする人間の影響力は大きいし、公共の電波を使っているのだから、ある程度のガイドライン作りは必要だと思う」 (放送評論家の金沢誠氏)

 顔を売るのが目的のコメンテーターは退場してもらった方がいい。



いすけ屋


 この記事を書いた記者に賛成だ。賤しくも全国ネットのテレビにレギュラー出演し、知名度を上げたところで立候補すれば、出てなかった人に比べて、何カ月も何年も前から選挙運動をしていたようなものであるから、確かに不公平である。公職選挙法では、選挙期間中は厳しく監視されるから、テレビ等で名前すら出す事を禁じられるが、公示前ならどれだけ連呼しても引っ掛からない。従って無名の人が立候補しても選挙期間中に自分の政策を訴えても、浸透しないのがふつうである。候補者が有名人なら、政策以前に好感度とか好き嫌いで投票するから、選挙そのものがフェアーではない。しかし、これが民主主義なのだ。


 もっとも、コメンテーターとして、視聴者に認められればプラスに働くが、どうでもいいコメントばかりの人は逆にマイナスかもしれない。ワタミ氏は一応成功者でもあり、耳を傾けるべきコメンテーターだったのだろうが、こと政治問題に関しては、良く分からない人だという印象だ。それでも官僚あがりとか国会議員崩れよりは、より民間人の目線に近いから、今後が楽しみではある。また、都知事選を考えて、戦略的にテレビ出演していたなら、それはそれで、なんの根回しも出来ない「何処かの首相」よりずっと優秀だと思う。


 都知事選に限らず、タレント議員が多く当選するのは、日本人の民度がまだ成熟していない証拠である。これはタレント議員の責任ではなく、あくまでも有権者の責任ではあるが、身知らぬ立候補者とテレビによく出ている立候補者とだったら、自然に知ってる方に投票するのが人情だろう。このギャップを埋めるような金のかからない選挙運動を許すべきだ。例えば、政見放送だけでなく、民法も各局が、選挙期間中は必ず選挙運動時間を1時間以上もうけて、候補者に無料で好きな事をやってもらうという規約を設けるとか・・・。候補者が各局を「はしご」すれば、そこそこ知名度もあがるだろう。


 バラエティーでもクイズ番組でもいい。1週間も続けば、才能があれば有名人の仲間入りしているかも知れない。名古屋の河村さんでも、あれだけメディアに取り上げてもらえば、他の候補者より河村さんに投票してしまうだろう。公示日までバンバン放送しておいて、選挙期間はピタリとやめる。法には違反していなくても、明らかな偏向報道だ。結果、とうとう名古屋市会議員は悪者にされてしまった。議員報酬を半額にしろという河村さんの主張に反対したからだが、そんなことで10%減税の財源は生まれてこない。30%カットまで譲歩した議会の方がより現実的だったが、あまり報道されなかった。今のマスコミは「アンフェアー」に満ち溢れている。


 また、選挙期間中のインターネット利用を禁じているのは、後進国そのものだ。公職選挙法をみると、主に選挙費用がかからないように考えられている。インターネットは其の目的にもっとも適したツールである。あまり法律でがちがちに縛らずに、ある程度の自由度というか、人権を無視しないのなら、本人の判断に任せる部分があってもいいのではないか。制約が多くて、もう、この国は疲れる。もっと、自己責任をベースにした自由がほしい。