国民は騙されている
小沢「強制起訴」の虚構
 

日刊ゲンダイ(2月7日)


地検特捜部と検察審査会の「一体化」がバレた石川裁判 


 先週、東京地裁で聞かれた石川知裕衆院議員や大久保隆規元秘書の初公判。そこで明らかになったのは、地検特捜部と検察審査会の微妙な連携だった。いや、「一体化」といっていい。


 これまで検察と検察審査会は「対立の構図」で語られてきた。検察が起訴しなかった事件について、被害者が異議を申し立てると、一般国民11人から成る検察審査会が「検察の不起訴は妥当かどうか」を審査するからだ。本来は、検察の怠慢をチェックする機関が検察審査会なのであり、プロ集団の検察にとっては面白くない、ジヤマな存在である――と。


 しかし、小沢事件を通して、そんなものはデタラメ、建前にすぎないことが次々と暴露されてしまった。

 小沢元代表をどうやっでも起訴できなかった東京地検特捜部。それに対して特捜部の処分を否定し、「起訴相当」の議決を2度(昨年4月と10月)出した検察審。普通ならプロ集団の特捜部はメンツからいって、シロウト集団の検察審に協力することはあり得ないのだが、小沢事件では明らかに違ったのだ。


 「最たるものは、先日の裁判で明かされた石川議員に対する再聴取の録音内容です。そこで担当検事は、過去の供述内容を変えようとする石川議員に対し、供述を変えると、小沢さんなどから圧力があったと受け取られて、検察審の審査にマイナスになるよ、小沢さんが強制起訴になってしまうよと諭して、当初の供述を変えさせまいとする様子が録音されています。結局、石川議員は検事の説得に従って、検察の言われるままに作成された供述を維持してしまった。これが決定打となって、その後の2回目の検察審は小沢氏の強制起訴を決めたのです。でも特捜部検事の知識があれば、石川議員が供述を変えた場合と、維持した場合のどっちが小沢氏の強制起訴につながるかは判断できますよ」 (司法関係者) ”ワナ”にはめたということだ。


 政権政党の実力者を標的にウラ金捜査を姶めたものの、無理な見立て捜査が崩れ、小沢を不起訴にせざるを得なかった特捜部。しかし、不起訴になった小沢に復権されては困る。民主党政権から、特捜部がどんな仕打ちを受けるかもしれないという恐怖もあったのだろう。そこで事件を、シロウト集団の検察審に巧みに引き継いだ特捜部。「起訴相当」 「強制起訴」の結論を引き出そうと、石川議員をだまくらかし、まんまと 「小沢クロ説」を維持したと考えるしかない。

 検察審査会と特捜部の ”黒い癒着」はこれだけではない。大マスコミが「市民の判断」と称賛する検察審査会のいかがわしい正体を追う――。 (つづく)



いすけ屋


 小沢一郎の親中、国連中心主義は私とは相容れない。しかし、今回の検察審査会強制起訴裁判は納得がいかない。日刊ゲンダイは中小メディアのわりに、はっきりと物言う新聞社だと思う。


 大手のメディアが首を揃えて小沢バッシングに走っているのに、日刊ゲンダイはむしろ小沢擁護新聞だ。記者クラブに入れないフリージャーナリストや中小新聞雑誌社に受けがいいのは、小沢さんは彼らを分け隔てなく扱うからで、先日も上杉隆氏を中心に「自由報道協会」成るものを立ち上げ、小沢さんの会見を企画した。これに小沢さんも喜んで出席している。記者会見を好まない小沢さんの言い分は、「大手は真実を書いてくれないから・・・。」


 上杉隆とい人は曲者だが、結構実力者だ。産経の阿比留さんとやりあったり、安倍事務所とやり合ったり、政権交代時は民主党べったりで、感情的には排除したいジャーナリストだが、そういう喧嘩を覗けば、けっこうまっとうな意見を述べている。この人も小沢さん擁護の発言が多いが、単に「記者クラブ」で取材出来ない鬱憤を小沢さんは晴らしてくれるからだと思う。


 私は単に、この検察審査会制度が人民裁判の様相を呈してきたから、おかしいと言ってるだけだ。世間の「小沢憎し」の感情も、大半はマスメディアによって作られた風説である。「金脈政治の田中角栄の弟子だから小沢一郎もきっとそうだろう」とか、「何度も党を立ち上げ、潰しているが、其の時の資金はどうやって工面したのか」とか、「自宅に現金を4億も置いとくなんて考えられない」と言った類の推論が、知らぬ間に、人々の固定観念として定着しているからだ。


 ところが、大手マスメディアの取材源と言えば「記者クラブ」にリークされた情報か、通信社のニュースを買ったかのいづれかで、自らの取材でと言うのは皆無に等しい。このシステムが日本の情報処理の能力を著しく後退させていると思わないか。まず、大手のニュースは100%信用してはいけないということに留意しなければならない。


 これまでの、小泉マンセー報道、一転して安倍バッシング。福田さんはそのとおりだったのでバッシング当然だが、麻生バッシング。麻生さんも田母神更迭の大失敗首相であったが、経済対策一筋にしぼったところは小泉さんよりはましだった。だが、マスコミはこの間一貫して自民党政治の限界を訴え、いかにも民主党ならこの国のかじ取りをうまくやってくれるみたいな幻想を国民に与えた。そして浮動票が全て民主党に流れて、政権交代が成ったのである。言ってみれば、マスコミが政権を変えたのだ。そして、民主党の無能力を打ち消すように、小沢問題を突出させて責任転嫁しようとしているのが大メディアの立ち位置なのだ。


 こんなものに簡単にだまされるようでは、自主国家なんて永遠に出来っこない。国民はもっと民度を上げ、賢くならなければ、何時まで経っても過去に対しては自虐史観、他国に対してはへりくだり、自国の領土防衛すらできない国家で無い一つの「地域」に成り下がってしまう。


 法治国家では、判決が出るまでは「推定無罪」である。どんなに憎たらしい人でも、同じ扱いができなければ、それは社会主義国の人民裁判と同じであり、この前死亡した永田洋子の総括と同じレベルである。グループの異常に気が付いて、グループから抜け出ようとしたら、殺された。あの当時の学生運動家は、とにかく狂っていた。今の日本も、徐々にそうなっているのではないか。