サザンの3枚目アルバム「タイ二ィバブルス」にある「働けロックバンド」
これはある意味テレビ出演との和解の曲でもあるんだよね。
サザンは勝手にシンドバッドでデビュー以来、ドリフタ―ズに桑田さんが
誘われるなどコミックバンドという評価がお茶の間に定着してしまった。
いとしのエリーでその辺りはある程度払しょくしたものの、
番組内でのバンドへの扱いは一部のライブ番組を除けばひどいものだった。
当時は番組専属のダン池田となんとかスターズとかそういうビッグバンドが
音楽構成を担う時代。
番組の尺に合わせて歌の構成を自在に変えなくてはいけなかった。
だから曲のオープニングがはじまってすぐサビで終わりなんてこともあった。
また、現在のように電波で演奏している音をイヤホーンに飛ばすことができなかったので、
ライブの時と同様にモニタースピーカーが番組演奏でも必要だった。
しかし、画像上汚いという理由でモニターが撤去されて自分たちの演奏と歌が合わないという
こともザラだった。
サザンでいえばピンクレディーの番組「ピンク百発百中」などの準レギュラーでバーニーちゃんという
女の子とギャグをやったりしていた。
待ち時間も長く、演奏時間は短く、テレビの収録の合間にライブとレコーディングという
ハードスケジュール。一人暮らしを始めた桑田さんは高円寺の風呂なしのアパートで
お湯をやかんで沸かして、台所のしんくで痔のお尻を洗う毎日。
音楽の想像力を失いかけた78~79年。
その気持ちを「働けロックバンド」に込めた。
しかし半年間テレビから遠ざかると、ファンもテレビもサザンを見離し、ヒット曲は出ず、
ライブは空席も出始めた。テレビの出演もなくなった。
そんな時期に和解の意図も込めて作られたのだ。
桑田さんの心の中にテレビを使ってヒットを狙うという意識が芽生え始めたのは81年の頃からだった。