地下鉄サリン事件のころ | 伊勢守日記

伊勢守日記

吾妻鏡的、当たり障りない美辞麗句の公式記録。

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1995年3月20日、東京は恐怖のどん底に叩き落された!

 

地下鉄サリン事件である。

 

 

杉野勢州は後に述懐する。

 

あの頃ワシは都心の飲食店で皿洗いしててな、しばらくの間、職場への行き帰りが怖かった。

 

まだネットが普及してなかったけど「4月X日になにかが起こる」とか、無責任なウワサがしょっちゅう流布されていたからね。

 

それはともかく、ぶどうの流通始まりました。

 

 

 

教祖逮捕の5月16日までは、2ヵ月弱でしかないんだけど、それまでが本当に長く思えた。

 

2ヵ月弱を長く感じた理由のひとつに、メディアの報道姿勢があった。

 

TVは、1990年の総選挙出馬時の様子、「さあ修行するぞ」と連呼しているテープ、『私はやってない』の「エンマの数え歌」、どこから入手したのか教祖が男性幹部を激しく叱責したかと思えば女性信徒に対しては一転猫なで声で宗教家とは思えない会話をしている電話のテープなどなどが延々と流され、教団幹部の逮捕や殺害シーンの生中継までやってのけたのである。

 

一方、夕刊紙は連日『麻原逮捕 』と見出しを打ち、週刊誌は幹部の教団内での名前(ホーリーネーム)と戸籍名対比の一覧表を掲載した。

 

つまりダ、メディアはオウム事件を金儲けの道具として消費したのだ。

 

そんなあなた方が今になって、松本麗華さんに対して「謝罪しろ」だの「反省しろ」だの責めたり、暴言吐いたり、冷たく切り捨てる資格などなぁい!!

 

 

ここで1曲。

Winkで「愛が止まらない」

 

 

なぁ、3月に何の気なしに松本麗華さんのことをこのブログに書いたら、6日のアクセス数が通常の100倍になったんだが……

 

 

おわり