もうすぐザラフィアンツ先生のレッスンである。先生のレッスンは、先生ご自身が日本語が堪能でいらっしゃるため、全部日本語でレッスンが受けられる。 表現方法などかなり複雑な事も的確な日本語で説明してくださるので、こんなレッスンを受けられるなんて、私はなんて恵まれているんだろうと、いつも思う。 通訳の方を通すのとはやはり違う。 それにご自分でもよく弾いてくださる。 これも聴けるだけでもすごく得した気分。 前々回のレッスンで、私のが終った後の生徒さんが、プロコフィエフのソナタ、3番を受けられて、しばらく聴かせて頂いたのだが、ほぼ全曲を先生は通して弾いてしまわれ、もう素晴らしいコンサートを聴かせていただいたようで感動した!

先生はプロコフィエフはご自分のコンサートの時には今まで入れていらっしゃらなかったと思うが、私はあまりに美しいプロコフィエフだったので思わず「先生、コンサートでプロコフィエフ弾いてくださいっ!」と厚かましくリクエストを言ってしまった。 先生は笑いながら「まぁ、いつかね・・」とおっしゃっていたが、本当にぜひ聴きたいな、と思う。

 

この前のレッスン予定は、残念ながら受けられなかった。 レッスンの3日前に親しくしていた叔父が死去。 まさかのレッスン日と叔父のお葬式が重なってしまったのだった。 レッスンを受けたいのは山々だったが、やはり叔父のお葬式の方を優先させた。

 

なぜかというと・・・実は私は2年前に両親を1ヶ月の間に相次いで亡くしてしまったのだが、その時に叔父には一番支えてもらったからである。。 

その前のの5年間ぐらいで、両親2人は同じぐらいの速度で体の衰えが進んできて、私は一人っ子で同居していたため両親の世話が全部私の肩にかかってきたのである。幸い2人とも癌ではなかったのでそいう苦しみはなかったが、、老衰が進んで最期には歩けなくなり父は死因は脳梗塞、母は肺の出血と誤嚥性肺炎で亡くなったのだが、本当に辛い5年間だった。 だんだん体の自由の利かなくなっていく両親を見ながら毎日過ごすのは真綿で首をしめられていくようだった。

 

私には主人も子どもも一人いるが、子どもも主人も学校や仕事で忙しくほとんど手伝ってはくれないし、結局は私一人が両親の病院のつきそいやら、治療方針の承諾や、デイサービスのことやらをきめなくてはならず、よっぽど一度レッスンを完全にやめてしまおうかとも思ったのだが、少ないながらも生徒を手放してしまったら、また集めるのは容易ではないと思い、レッスンは夕方数時間という事もあり、頑張って続けた。

 

結局最期はほぼ両親が数日違いで、同じ病院に入院する事になった。父が先に亡くなったが、私は葬式の次の日も生徒には何も言わず、レッスンを続けた。 その時母も命が危ぶまれている状態で、とても父が亡くなったとは言えず、「お父さんもがんばっているからね」と母には言い、夕方には家に帰り、レッスンを続けた。 今から考えるとレッスンなど全部やめて両親にずっとつきそってあげればよかった、という後悔ばかりが頭にうかんでしまう。 2人とも亡くなった直後にはお葬式や四十九日、一周忌などがあって準備で色々なことを考える余裕がなかったが、それが全部終ったこのところ、2年もたってからかえって辛い気持ちになっている。もちろん冷静に考えたら、あの時両親の世話自分だけでしていたらたぶん私は自分が先に倒れていたかもしれないな、と思う。 ヘルパーさんに随分助けてもらって、レッスンも続けて気持ちを切り替えたからこそ、なんとか精神的にも持ちこたえることができたのかもしれない。でもやっぱりもっと出来たのに自分の都合を優先させてしまい、今本当に後悔している。

 

その辛い時、母の実家を継いでいる叔父には精神的に本当に支えられた。 両親の亡くなった後のこともどうしたら良いかを教えてくれて、どんなに心強かったことか。 叔父自身も色々と病気をかかえて、入退院をくりかえしていた。

それが両親の一周忌が終わったとたんに亡くなったのだ。 何かこれで私の事も一段落したし、大丈夫だなと思ってくれたのかと思うぐらいのタイミングで、よけいに悲しさが増した。

 

そのような事が続いたので、今度のレッスンは久しぶりであるが、無事何事もなく受けられる事を祈っている音譜今回はメンデルスゾーンの「無言歌集」から何曲か見ていただく予定。 先生のレッスンは毎回本当に楽しみにしているので今回も緊張はするが、待ち遠しい気持ちである。