ダイジェスト:2006年8月16日より。(できれば日刊 hitorigotoより抜粋) | ブレブレタコラの逆襲

ダイジェスト:2006年8月16日より。(できれば日刊 hitorigotoより抜粋)




「懐かしいもの」シリーズ第二弾。

「ニッポン放送」の「オールナイト・ニッポン」が、まだ「アーティスト」や「お笑いタレント」に頼らず、「アナウンサー」や「スタッフ」で頑張ってやってた第一期黄金時代に、番組で出していた小冊子「Viva Young」。
「アナウンサー」の写真がカレンダーになってる。
「1971 ANN STAR CALENDAR」
「スターカレンダー」って、あんた。
今となっては、本気なのかシャレなのかもわからない。
みんなまじめに写っているが、内容もマジメな内容あり、オフザケあり、音楽ネタありと、まとまりが無い番組広報誌って感じ。
ちなみに、この頃は、自分はまだ札幌に住んでいて、手に入れるのも大変で、入手出来ると、よろこんで読んでた。(5号(册)所有)
「ニッポン放送」の「オールナイト・ニッポン」や、「文化放送」の「セイ・ヤング」、「TBSラジオ」の「パック・イン・ミュージック」だけじゃなく、札幌現地制作の深夜放送もかなりの人気があった時代。。
やっぱり、「アナウンサー」は抜群に人気があった。
笑ってしまうが、中学校に入った頃までは「アナウンサー」になりたかった覚えがある。
そのころから、芸能好きだったのね。
って、芸能好きじゃなくて音楽好きだって。
中学生のくせにラジオ番組に出たり、「アナウンサー」と直接会ってたり、変な、ませたガキだった。
まあ、自分の事はおいといて。
「ホリエモン」の「ニッポン放送」株の事件のときに「ニッポン放送」社長で、変な注目のされ方をしちゃった「亀渕昭信」氏なんかも写っている。
「カメ&アンコー」という名で、やっぱり「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティの「斉藤安弘」氏と一緒にレコードなんかも出していた。
この頃は、「社長」になることも、こんな注目のされかたをすることも、思ってもみなかっただろうな。
人生いろいろあるなぁ。

って、変な終わりかただけれど、このへんで。